リクエスト募集

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#01 め組のひと

1980年、「ランナウェイ」でレコードデビューしたシャネルズは、いきなりミリオンセラーを記録する大ヒット。その後、1983年、「ラッツ&スター」に改名。改名後のデビュー曲『め組のひと』は、CMソングに起用されオリコン1位を記録!Text by エムP

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#02 FUNK FUJIYAMA

1989年、外国人から見た日本の名産、名物を並べたユニークで過激な歌詞が話題となりヒットした名曲『FUNK FUJIYAMA』 CMに起用された際、『SAMURAI』はOKを貰えたが、「GEISHA」「カミカゼ」「HARAKIRI」という単語は、当たり障りない日本の象徴に書き換えられてしまった経緯がある。Text by エムP

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#03 流星のサドル

1986年、アルバム「SHAKE IT PARADICE」収録されていた『流星のサドル』。サドルとは、馬具で馬の鞍、腰掛台のこと言う。Text by エムP

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#04 神田川

1973年、アルバム『かぐや姫さあど』に収録。昭和カップルの生活感をリアルに描写した楽曲が共感を呼びシングルカットされた。発売後、20年以上の歳月を経て200万セールスを記録。Text by エムP

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#05 ミ・アモーレ

1985年、日本レコード大賞受賞楽曲となった『ミ・アモーレ』 翌年も中森明菜が歌う「DESIRE-情熱-」が受賞!女性歌手初の2年連続レコード大賞受賞という偉業を達成。昭和の歌姫という称号を得た。Text by エムP

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#06 UFO

1976年、ペッパー警部でデビューすると斬新な衣装と踊りで瞬く間に、日本中に“ピンクレディー旋風”を巻き起こした。誰もが、振付を真似し熱狂した楽曲は『UFO』。ピンクレディーの恋のお相手が、『宇宙人』という刺激的な楽曲『UFO』で、第20回日本レコード大賞を受賞すると、名実ともに日本を代表する歌手として全世代を虜にした。Text by エムP

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#07 初恋

デビュー4年目の1983年、30歳で発表した5枚目のシングル『初恋』の胸キュン・フォークが世代を超える大ヒットとなる。『ザ・ベンチャーズ』の強い影響を受けていた村下孝蔵。アコースティックギター1本の「ひとりベンチャーズ」で披露した卓越したギターテクニックが伝説となり、シンガーソングライターのさだまさしさんからは、「村下の弾くひとりベンチャーズ凄い。居ないはずのメル・テイラーのドラムが聞こえてくる」と絶賛されている。Text by エムP

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#08 ダンシング・オールナイト

1980年、ソロ歌手としてヒットを生み出すことが出来なかった「もんたよしのり」が、『もんた&ブラザーズ』として再起を賭けてデビューした楽曲が『ダンシング・オールナイト』 発売当初は、話題にならなかったが、一度聴いたら癖になる、もんたよしのりのかすれ声とテンポの良い楽曲は、じわじわと音楽ファンに浸透。気がつけば、1980年代のシングル売上が累計200万枚を超える最大ヒット曲となった。Text by エムP

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#09 ゲゲゲの鬼太郎

1967年、水木しげるさんの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』を原作とする同名のアニメ作品の主題歌として産声をあげる。記念すべき、初代主題歌の歌手として『ゲゲゲの鬼太郎』歌いあげたのが、熊倉一雄さん。あの独特に歌いまわしを聴くと恐怖心が芽生えてくると言わしめた。その後、吉幾三さん、憂歌団、泉谷しげるさん、小池徹平さん、氷川きよしさんと錚々たるメンバーが参加している。Text by エムP

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#10 今夜はブギー・バック

1994年、レコード会社の枠を超えたコラボレーション楽曲として、小沢健二がメインの「nice vocal」バージョン、スチャダラパーがメインの「smooth rap」バージョンで2枚同時にリリースされ話題を呼んだ『今夜はブギー・バック』 このコラボレーション楽曲が誕生したことがキッカケとなり、数々のコラボ楽曲が生まれてくることになったのです。Text by エムP

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#11 港のヨーコ•ヨコハマ•ヨコスカ

1975年、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの4作目のシングル曲、『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』 作詞家・『阿木燿子』のデビュー作となった詞を詠んで「コレこそ俺の唄うべき歌だ!」と感激した宇崎竜童さんだったが、生涯で最も作曲に困った作品でもあったとのこと。難産の末、完成した楽曲は一度聴いたら忘れることが出来ない名曲として、ミリオンセラーを達成した。Text by エムP

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#12 大きな玉ねぎの下で

1985年、爆風スランプの2ndアルバム『しあわせ』に収録されていた『大きな玉ねぎの下で』。感慨深い詩と切ないメロディが見事に重なり合う名曲は、1989年10月、『大きな玉ねぎの下で~はるかなる想い』としてリメイク。爆風スランプ、15枚目にシングルとして発売されると、その年の第40回紅白歌合戦でも『大きな玉ねぎの下で』を披露する機会が与えられ視聴者に多くの感動を与えた。Text by エムP

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#13 中央フリーウェイ

1976年11月20日。荒井由実4枚目のアルバム「14番目の月」に収録されている『中央フリーウェイ』は、今でも色褪せないドライブミュージックの定番。独身時代最後のオリジナル・アルバムとなった「14番目の月」。本人は、このアルバムで歌手を引退するつもりだったと、自伝「ルージュの伝言」で語っている。Text by エムP

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#14 RYDEEN

1979年9月25日。YMOの2作目のアルバムとして産声をあげた「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」1980年度・年間LPチャートで第1位(オリコンチャート)に輝いただけでなく、1980年度・年間総合順位でも第2位を記録し、「テクノポップ」という言葉を日本中に浸透させたアルバムである。この「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」に収録されていた名曲が『ライディーン』YMOメンバーも出演した「フジカセットのCF」で流れていた『ライディーン』は、一度、聴いたら忘れることが出来ないインパクト大の名曲として日本中を席巻していった。Text by エムP

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#15 ギザギザハートの子守唄

1983年9月21日にリリースされたチェッカーズのデビューシングル『ギザギザハートの子守歌』。発売当初は全く売れなかったが、翌年2枚目のシングル「涙のリクエスト」を発売すると、67万枚を超える大ヒット。『ギザギザハートの子守歌』だけでなく、3枚目のシングル「悲しくてジェラシー」と合わせて3曲同時ベストテン入りするという偉業を打ち立てた。 TEXT by エムP

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#16 ズルい女

1995年5月3日にリリースした、シャ乱Qの7作目のシングル『ズルい女』。オリコン初登場9位を記録したが、翌週16位と急落して落胆したところ、じわじわと人気が復調。発売から約2か月後、本作のオリコン最高位2位を記録するロングランヒットへ成長。結果、145万枚を売り上げ、シャ乱Q『最大のヒット曲』となった。ちなみに、次点は、「シングルベッド」の120万枚である。 TEXT BY エムP

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#17 もう恋なんてしない

1992年5月25日にリリースした、槇原敬之の5枚目のシングル『もう恋なんてしない』。柴田恭兵、三浦洋一、風間トオルのイケメン俳優3人が女好きを競ったハートフルコメディードラマ「子供が寝たあとで」(日本テレビ)の主題歌になった同曲は、139万枚のミリオンヒットを記録!年間オリコンランキングでも第7位にランクインした。自身最大のヒット曲は、166万枚を売り上げた「どんなときも」。『犬に耳打ち』している印象的なジャケット写真で話題となった『もう恋なんてしない』は、槇原敬之にとって2番目の売上を誇る名曲である。TEXT BY エムP

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#18 恋のダイヤル6700

1973年12月5日、フィンガー5の4枚目シングルとして発売された『恋のダイヤル6700』は、4週連続でオリコンシングルランキング第1位を記録。翌年(1974年)、年間売上ランキングでも第5位を獲得!累計売上、160万枚を超えるビッグヒット曲となった。米国で当時大ヒットを飛ばしていたジャクソン5を意識して結成されたフィンガー5は、沖縄県出身の5人兄弟。『沖縄県出身のグループ』のはしりと言われている。TEXT by エムP

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#19 風をあつめて

1971年11月20日に発売したはっぴいえんど、通算2作目のスタジオ・アルバム「風街ろまん」。A面の3曲目に収録されているのが、作詞:松本隆、作曲:細野晴臣の『風をあつめて』。「風街ろまん」のジャケット写真は、メンバー4人(細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂)の顔写真のアップ。撮影を担当したのは野上眞宏だったがメンバーには大変不評だったと言われている。時を経て、1999年リリースしたシングル『あしたてんきになあれ』のジャケット写真。「風街ろまん」で使ったメンバー4人の元写真が採用され再登場することになると、当時のファンは固唾を飲んで喜んだ。TEXT By エムP

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#20 Automatic

1998年12月9日に発売された宇多田ヒカルのデビューシングル「Automatic/time will tell」。累計出荷枚数255万枚を誇る記録ずくめのデビューシングルとなった。『Automatic』「time will tell」共に、PVが製作された理由を、どちらをプッシュするか迷ったからであると後に明かしている。1999年、オリコンシングル年間ランキング第1位は、『だんご三兄弟』だったが、「COUNT DOWN TV」(TBS)の1999年年間TOP100では、堂々の第1位を獲得した。その理由は、8cm盤と12cm盤の2種類のシングルCDを合算した結果と言われている。TEXT BY エムP

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#21 島唄

1993年6月21日に発売されたTHE BOOMの11枚目のシングル『島唄』は、150万枚を超える大ヒットを記録。同年「第35回日本レコード大賞」で「ベストソング賞」を受賞!紅白歌合戦にも出場、一躍全国へと知れ渡った。THE BOOMの代表曲となった『島唄』は、加藤登紀子、夏川りみ、BEGIN、May J.他、国内外でカバーされ今も歌い継がれている名曲である。Text by エムP

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#22 DIAMONDS

1989年4月21日に発売されたプリンセス・プリンセス7枚目のシングル『Diamonds』は、所属レコード会社でもあるソニーの「オーディオテープ」CMソングに起用されオリコンシングルチャートで初登場2位を記録。その後、登場7週目にして自身初の1位を獲得すると同年のオリコンシングルチャートでも1位を記録。結果109万枚の売上シングルCDのみのリリースとして『史上初のミリオンセラー』を達成した。

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#23 涙そうそう

1988年、森山良子のアルバム「TIME IS LONELY」に収録されていた『涙そうそう』。森山良子が、ライブで共演した『BEGIN』と意気投合。沖縄の曲を作って欲しいと依頼したことで誕生した名曲である。『BEGIN』から送られた来たデモテープのタイトルに『涙そうそう』と書かれていたが、沖縄の言葉で「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味であると聞き、若くしてこの世を去った兄を想う気持ちを込めて歌詞をつけ完成した名曲。Text By エムP

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#24 デリケートに好きして

1983年7月25日に発売された、太田貴子のデビュー曲『デリケートに好きして』。1982年、日本テレビ『スター誕生!』第45回に出演し、決戦大会で徳間音楽工業からスカウトを受け、1983年に歌手デビューした太田貴子。『デリケートに好きして』は、自身が主演声優を務めた『魔法の天使クリィミーマミ』の主題歌にもなった。Text by エムP

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#25 夢をあきらめないで

1987年2月4日に発売された岡村孝子、5枚目のシングル『夢をあきらめないで』。当初は、8センチCD、シングルカセット、8インチシングルレコードとマルチウィンドウリリースに挑戦したが、オリコンシングルチャートの最高順位も50位と奮わず、CD売上枚数は、約13,000枚と低迷し、有名楽曲だが売れなかった名曲の代名詞と言われている。ちなみに、2001年6月20日には12センチCDもリリースしている。Text By エムP

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#26 さそり座の女

1972年12月20日に発売された美川憲一の25枚目のシングル『さそり座の女』はオリコン集計9万枚を超えるヒット曲で、柳ケ瀬ブルースと並ぶ代表曲の1つ。作詞を手掛けたのは、戦後一世を風靡した横浜のバンドホテルの社長夫人である斎藤律子。1999年、バンドホテルは70年の歴史に幕を閉じ、その跡地は、『MEGAドン・キホーテ山下公園』になってしまった。Text by エムP

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#27 北酒場

1982年3月21日に発売された細川たかし、18枚目のシングル『北酒場』。軽快なJ-POP風の演歌節という新しい武器を手に入れた『北酒場』は、レギュラー出演していた人気番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」(テレビ朝日)でも度々披露されると幅広い年齢層に広がり、『第24回レコード大賞受賞曲』という栄誉を手に入れる。結果、1982年オリコン年間ヒットチャートに於いて第5位にランクインする大ヒット楽曲となった。Text by エムP

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#28 東京音頭

1932年、『丸の内音頭』として産声をあげ、日比谷公園の盆踊り大会で披露されたのがルーツと言われている『東京音頭』。丸の内音頭の人気を感じたとったビクターは、全国的に流行させるため、東京市民すべてが歌えるように改詞をして、1933年7月『東京音頭』と改題して全国発売した。東京の見どころを歌った『東京音頭』は東京復興および経済振興の歌として人気となり、東京だけでなく全国で大ヒット!レコードの売り上げ枚数は発売当時だけで120万枚に達している。Text by エムP

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#29 異邦人 -シルクロードのテーマ-

1979年10月1日に発売された久保田早紀のデビューシングル『異邦人~シルクロードのテーマ~』。発売から1ヵ月以上経過した11月12日付けオリコンシングルチャート55位で初登場。次第に順位を上げていくと、12月10日『デビューシングルで第1位』獲得という快挙を達成!12月25日には、所属レコードCBSソニーが累計売上100万枚突破と発表。その後、シングルレコード総売上枚数は144万枚を記録!一気のメジャー歌手の仲間入りとなった。Text by エムP

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#30 天体観測

2001年3月14日に発売されたBUMP OF CHICKENのメジャー2枚目のシングル『天体観測』。『弱者の反撃』と言う意味を持って名付けられたバンド名に恥じぬ快進撃をみせたセカンドシングルは、週間オリコンシングルチャート第3位を記録。同年の年間オリコンシングルチャート26位。オリコン登場回数45回を記録するロングヒット。結果、58万枚を売上、BUMP OF CHICKEN最大のヒット曲になっている。Text by エムP

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#31 ルビーの指環

1981年2月5日に発売された寺尾聰の6枚目のシングル『ルビーの指環』。俳優業が主軸だった寺尾聰を歌手としてスターダムに押上げた『ルビーの指環』は本人最大のヒット曲であり134万枚のセールスを記録した。オリコン年間シングルチャート第1位。第23回日本レコード大賞受賞。更に作詞賞、作曲賞、編曲賞も受賞し、楽曲製作者に贈られる3タイトルを総ナメにしただけでなく、第10回FNS歌謡祭最優秀グランプリ。第12回日本歌謡大賞受賞。『賞レースを総ナメ』にした日本の名曲中の名曲なのです。Text by エムP