日本のバンド・Mr.Childrenによる5枚目のシングル。1994年6月1日にトイズファクトリーより発売された。本作は1994年の第36回日本レコード大賞で大賞を受賞するも、メンバーはオーストラリアで「Tomorrow never knows」のミュージック・ビデオ撮影のため授賞式を欠席するという異例の事態になった。代理として所属レコード会社・トイズファクトリーの代表でアマチュア時代のMr.Childrenを発掘した稲葉貢一が授賞式へ出席、トロフィーを受け取った。2004年に26thシングル『Sign』で10年ぶりに再び大賞を受賞時は、メンバー全員が授賞式に出席した。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://onl.sc/h4bXcVy)
長野県の県歌である。1900年(明治33年)発表。作詞は旧松本藩士族の浅井洌(1849年 - 1938年)、作曲は東京府出身の北村季晴(1872年 - 1930年)により、1900年(明治33年)に成立した。元は長野県師範学校附属小学校の郷土唱歌として作られ、その後身に当たる信州大学教育学部附属長野小学校の校歌としても歌い継がれている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://onl.sc/RbTBk7F)
2019年11月29日に配信限定でリリースされたVaundyの楽曲。自身初のシングルであり、デジタル・ダウンロードのみでリリースされた。 YouTubeにて公開されたMVはリリースから2ヶ月で100万再生され、業界からの注目を集めた。同時に自身の活動が世間に広まっていくきっかけとなった曲である。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://onl.sc/SH7yDhm)
大滝詠一の通算14枚目のシングル。1997年11月12日にSony Records(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)から発売された。前作「フィヨルドの少女 / バチェラー・ガール」(1985年)以来12年ぶりのシングル。フジテレビ系月9ドラマ『ラブジェネレーション』主題歌として制作され、カップリングの「Happy Endで始めよう」も同ドラマの挿入歌として使用された。タイトルや自身のアルバム『大瀧詠一』のジャケットをそのまま使用するなど、セルフパロディ的な作品で、ジャケットを元にしたPVが制作された。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3mgDPtO)
工藤静香の通算5枚目のシングル。1988年8月24日にポニーキャニオンから発売された。カネボウ'88秋のプロモーション・イメージソングに起用された5枚目のシングル。プロモーション広告用のコピーが「ん、色っぽい」であった。後に中島みゆきが著書『愛が好きです II』(歌詞&エッセイ集)内のエッセイで、この曲の作詞依頼を受けた際のエピソードが披露されており、前述の広告用コピーをタイトル名・楽曲内に使うという指示を受けたために中島がタイトル名を決めるのに苦心したという。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/43icwzX)
1967年(昭和42年)1月2日にリリースされた日本のフォークソングである。オリジナル版は森山良子が歌唱した。小薗江圭子の作詞、森山良子の作曲によるフォークソングで、レコーディングされたものがフィリップス・レコードからリリースされている。内容は、見渡す限りの大自然を、すべて捧げるかわりに、あなたからの手紙が欲しいと願う内容となっている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3MA5iBg)
BOROの2枚目のシングル。1979年8月1日発売。BOROが大阪・北新地で弾き語りをしていた当時、若い客からの「自分たちが歌える大阪の歌がない」という不満に答える形で制作された。ポップスでは上田正樹の「悲しい色やね」と並ぶ、大阪のご当地ソングの代表曲である。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3zQhvdo)
m-floのメジャー9枚目のシングル。2020年7月10日現在、オリコンが掲載するm-floのシングル売上ランキングにおいてトップの作品である。1曲目「come again > Original」(以下「come again」)は、当時イギリスで流行していたクラブミュージック、2ステップを基調としている。リリースに際しトラック制作担当メンバー☆Takuは、m-floの公式ウェブサイト上で「日本の歌謡曲の方程式を無視してつくった曲です」とコメントした 。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3KqtxPC)
L'Arc〜en〜Cielの10作目のシングル。1998年7月8日発売。この<シングル3枚同時発売>は、レコード会社のスタッフからの提案がきっかけで決まったもので、この案を聴いた際の心境についてtetsuyaは「"(3枚同時発売は)バカっぽくていいかな"と。反対するための強い理由もなかったし。まあ3曲PVを撮んなきゃなんないし、もっと忙しくなるかなと思ったんで、その部分は反対と言えば、反対だったというのもあるけど」と語っている。ちなみにkenは、3枚同時発売が決まった際の心境について「3曲同時で思い出すのは、寺尾聰ぐらい」と述べている。また、yukihiroは「"へえ、3曲出すんだ"ぐらいで、特別なんとも思わなかった」と述懐している。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3o5vBox)
群馬県と栃木県の二県に渡り、愛されている俗謡である(概ね両毛地域)。 また、八木節の八木は足利市の宿場、八木宿から取ったものである。樽を打ってリズムを取り、笛で軽やかな主旋律を奏でる、軽快な調子の民謡である。盆踊りの音頭として、また花柳界の芸妓により流行が作られた。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/41vXfdK)
2007年11月7日と2009年8月26日に発売されたビリー・バンバンの31枚目のシングルおよび32枚目のシングル。2007年9月から三和酒類の大分麦焼酎「いいちこ」のコマーシャルソングとしてオンエアされた。2007年、2009年に続き、2010年に3回目のシングルカットがなされ、2010年4月21日付のオリコンチャートでは1974年以来36年振りのTOP100入りを果たし、男性アーティストとして最長記録(36年5か月)を更新した。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3EEjG6z)
ケツメイシのメジャー11枚目・通算14枚目のシングル。MVには、萩原聖人と鈴木えみが出演(メンバーもチョイ役で出演)。ドラマ仕立てとなっており、脚本は岡田惠和が執筆した。ノンタイアップながらも、初動で約21万枚を記録し、ケツメイシ最大のヒットシングルとなった。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3Z8SQvC)
日本のシンガーソングライターであるEPOの5枚目のシングル。資生堂化粧品の1983年春のキャンペーンCMソングとして使用された。資生堂のキャンペーン終了後も、他社のCMソングに通算7回使われ、リリースから40年近くたった2022年にも、日本マクドナルドのCMソングとして使用されている。コーラスはEPOと大貫妙子と安部恭弘。ギターソロは大村憲司。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2KYHh8G)
1987年5月21日に12作目のシングルとしてEPIC/SONY RECORDSから発売された。2015年にアイドルネッサンスによってカバーされた。日本テレビ系ドラマ『夢みるくらい、いいじゃない』のメインテーマ曲として使用。 ミュージック・ビデオが制作され、草原の中でキーボードを弾きながら本作を歌う映像で構成。2018年に発売されたアルバム『Boys & Girls』には、ピアノでセルフカバーした音源が収録。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3Iy5ZHL)
岡村靖幸13枚目のシングル。1990年10月10日に EPIC/SONY RECORDSより発売された。前作「どぉなっちゃってんだよ」から3ヶ月振りの新曲。シングルでは、2013年に「ビバナミダ」がオリコンチャートで最高15位を獲得する迄、本作が自身最高順位を獲得した作品であった(ただし、自身最大のヒット曲ではない)。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3ZpcPGm)
声優・堀絢子がハットリくん名義で、自身が主演したテレビアニメ『忍者ハットリくん』のオープニングテーマとして歌唱した楽曲。カップリングには大杉久美子が歌う前期エンディングテーマ「ねえハットリくん」が収録されている。1981年11月に発売されたコンピレーション・アルバム『最新テレビまんが大行進〈アラレちゃん/ハットリくん〉』(日本コロムビア CZ-7151)をはじめ、2004年にリリースされた『忍者ハットリくん全曲集』などに収録されている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3QJTD2J)
一青窈の5枚目のシングルであり、代表曲の1つ。PVでは、歌詞に合わせて手話を取り入れている。第58回NHK紅白歌合戦では、大学生時代のサークルの友人と共に手話を行いながらの「ハナミズキ」を披露した。タイトルの元となったハナミズキは、彼女が学生時代よく行った、世田谷区内の二子玉川にある「ドッグウッドプラザ」にちなんでいる。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3GKgFlK)
BEGINの1枚目のシングル。1990年3月21日発売。発売元はテイチク。1989年9月2日に放送されたTBS系オーディション番組『三宅裕司のいかすバンド天国』で初披露され、審査員から大絶賛を受けた。その後日産自動車CMソングとなり、BEGINのデビュー・シングルにして最大のヒット曲になる。発売から半年後の10月から12月まで放送された昼ドラ『新金色夜叉 百年の恋』でも同曲が主題歌として起用。2003年にカラオケを追加収録する形で再発売された。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3GKBld5)
ポルノグラフィティの楽曲。1999年9月8日にSME Recordsより1作目のシングルとしてリリースされた。リリース当初はほぼ無名であったことから、オリコン週間シングルチャートでは初登場84位であった。しかし、その後の『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(9月13日放送回)、『ミュージックステーション』(9月13日放送回)への出演、『ここがヘンだよ日本人』のタイアップが話題を呼び、徐々に順位を上げて最高5位を獲得。累計で40万枚以上の売上を記録した。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3QS9sob)
小田和正作詞・作曲による、オフコースの曲。1975年12月20日に通算7枚目のシングル、およびアルバム『ワインの匂い』の収録曲として発表された。西城秀樹など様々な歌手にカバーされており西城秀樹のカバーは、約27万枚売り上げるヒットを記録した。この曲は、小田が最初作った時には実はバラード調の曲だったが、レコーディングの際ミディアム・テンポのロック調にアレンジが変更された。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3wamh3A)
1991年11月10日に発売された槇原敬之4枚目のシングル。発売元はWEA MUSIC(後にワーナーミュージック・ジャパンに併合)。1991年度と2008年度のサッポロビール「冬物語」CMソング(1991年モデルは夏川結衣)。シングル初回盤は4面パノラマジャケット仕様。それまで槇原本人の写真はジャケットに登場していなかったが、本作裏ジャケットで、初めて小さく槇原本人の写真が写っている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3HaKTzK)
RCサクセションの楽曲および1976年1月21日、ポリドールから4年ぶりにリリースされた6枚目のシングル。1976年4月21日発売アルバム『シングル・マン』の先行シングル。レコーディング当時、日本公演を行っていたタワー・オブ・パワーのホーン・セクションがレコーディングに参加。クレジットはされていないが、ピアノは深町純と言われている。ただ星勝は否定している。シングルはAB面とも、アルバムとはミックス違い。シングルはエンジニアの茂木正三。アルバムは茂木バージョンをRCのメンバーが再ミックスしている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3utWjaH)
正月(新年)をテーマにした日本の童謡。作詞は東くめ(1877年 - 1969年)、作曲は瀧廉太郎(1879年 - 1903年)。曲の著作権は切れているが、歌詞の著作権は2039年まで存続している。1901年(明治34年)7月25日に共益商社書店から刊行された『幼稚園唱歌』が初出。2007年(平成19年)に「日本の歌百選」に選ばれた。最初と最後に似たメロディが来る小三部形式である。ファとシがない、ヨナ抜き長音階である。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3h4tLRQ)
大貫妙子の9枚目のシングル。アルバム『Cliché』と同時発売された。収録アルバム『Cliché』の代表曲の一つである。A面曲「ピーターラビットとわたし」は、イギリスの絵本作家ビアトリクス・ポターの児童文学 ”ピーターラビット” シリーズに登場する主人公のウサギをモチーフにした楽曲。曲中の笑い声は大貫自身の声をテープに録音し早回しにしたもの。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3viGOTc)
中島美嘉の10枚目のシングル。中島自身が出演した明治製菓(現・明治)「boda」「galbo」のCMソングであり、第45回日本レコード大賞で本作は金賞を受賞し、作詞のSatomiは作詩賞を受賞した。本楽曲をモチーフとする実写映画が2019年2月に公開された。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3VEx9C4)
中西保志の2枚目のシングル。2007年2月21日発売のカバーアルバム『Standards』に発売された中西のカバーアルバム『Standards』では、ボーナス・トラックとして新録された「最後の雨2007」が収録されている。オリコンチャート最高位は16位だがロングヒットとなり1998年までに90万枚を売り上げた。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3PbpicD)
永井真理子の12枚目のシングルである。フジテレビ系『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』エンディングテーマ。最高位はオリコン週間2位ながら、12週にわたりベスト10圏内にとどまるロングヒットとなった。永井は本楽曲で、『第42回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした(2014年12月時点で唯一の出場)。 (フリー百科事典ウィキペディア日本語版より: https://bit.ly/3HfdqV9)。
ゴダイゴの楽曲。奈良橋陽子が作詞、タケカワユキヒデが作曲を手掛けた。グループの8枚目のシングルとして1978年12月25日に日本コロムビアから発売された。作詞は奈良橋陽子、作曲はタケカワユキヒデ。日本テレビ系ドラマ『西遊記』『西遊記II』のオープニング・テーマとして使用。なお、歌詞は当時の日本の楽曲では珍しく全編英語である。歌詞カードで There'll be と記載されている箇所は、実際には You'll see と歌っている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3Wl1Nkz)
小室みつ子が作詞、小室哲哉が作曲した楽曲。TM NETWORKの1987年(昭和62年)発表のアルバム『humansystem」に収録され、1999年(平成11年)にシングル『Get Wild』(再発盤)のカップリング曲としてシングルカットされた。1999年(平成11年)に、日本の女性歌手である、鈴木あみの7枚目のシングルの表題曲としてカバーされた。BOØWYの4枚目のシングル「B・BLUE」に対抗して作った楽曲で、こういう曲がないとBOØWYみたいな勢いのあるバンドに敵わないだろうと小室哲哉は思ったという。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3sOq59e)
数え歌で、無理問答の連鎖のような歌詞。オリジナル盤シングルは両面ジャケットのため、両A面という見方もでき、こちらも売上げに一役買った。本シングルの発売以前に、1975年にキングレコードから発売されたLP『ひらけ!ポンキッキ』(SKM(H)2229)で三浦けんいちの歌で収録されている(曲名は「いっぽんでもにんじん」)。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2Vj6RFZ)
日本の歌手・Adoの楽曲。メジャー1作目の配信限定シングルとして2020年10月23日にリリースされた。作詞作曲はボカロPのsyudouが手掛けている。楽曲は、その刺激的な歌詞などが大きな話題を呼んでTikTokやSNSで急速に拡散された。YouTube再生回数は1億回再生、ニコニコ動画では500万回再生を記録。デジタルセールスは累計30万DLに達し、ストリーミング再生回数は2億回を突破している。代表曲の一つとされる。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3DnBem5)
1981年9月21日に発売された泰葉のデビュー・シングル。タイトルにある「フライディ」の歌詞中の英語綴りは"金曜日"の「FRIDAY」ではなく、"飛ぶ"を意味する「FLY-DAY」である。サビから始まる歌い出だしの、起伏あるメロディが特徴のひとつとなっている。テレビ番組やステージで披露する際は、キーボードの弾き語りで歌唱することが多い。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3fqS7o7)
1977年3月25日に発売された狩人のデビューシングル。都会での愛する人との暮らしに終止符を打ち、新しい恋人と新宿駅で特急「あずさ2号」に乗って信州へ旅立とうとするヒロインの複雑な心の内を歌った曲である。1977年の大ヒット曲となり、新人歌手であった狩人を一躍スターの座に押し上げた。シングル売上は累計80万枚(オリコンの集計では約50万枚)。 (フリー百科事典ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3TYWvZY)
よしだたくろう(吉田拓郎)が1972年に発表したシングルである。それまでいわゆるアンダー・グラウンドの音楽と考えられていたフォークをメジャー・シーンに押し上げた楽曲で、"J-POPの原点"とも評される。この年2月に発生したあさま山荘事件の頃から全国的にヒットしはじめ、春の訪れとともに順位を挙げて3月にオリコンチャート3位を記録し、40万枚以上を売る大ヒットとなった。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3QZnCTW)
テレビアニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』のオープニングテーマとして使用された楽曲であり、同曲を収録した水森亜土のシングル。「ワイワイワールド」は『Dr.スランプ アラレちゃん』で使用された曲の中では最長期間となり、1話から第197話(1981年4月8日 - 1985年3月20日)、ラスト4話となる第240話から第243話(最終話)で使用された。「アレアレアラレちゃん」も1話から使われたが、111話で夏期間のため「アラレちゃん音頭」に変わり、128話から通常も「いちばん星み〜つけた」となり、1年間使われなかった。1984年9月から再び起用されたが、翌年3月にオープニングと一緒変更された。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3e13Sk8)
aikoのメジャー通算4作目のシングル。ポニーキャニオンから1999年11月17日に発売。前作「花火」から約3ヶ月ぶりのリリース。「カブトムシ」は、TBS『CDTV』1999年12月期エンディングテーマ、フジテレビ『ジョビれば!?』エンディングテーマとしてタイアップされた。aikoは「カブトムシは昆虫では1番強いとされる存在だが、甲羅1枚剥がすだけで柔らかくなって脆くなり、実は寂しい昆虫ではないか」と捉え、自分を守るためでもあるが虚勢を張って恋する自分をカブトムシにたとえて歌っている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2EH25O8)
1988年11月21日にポニーキャニオン/SEE・SAWから発売された川村かおりの1枚目のアルバム。ECHOESの辻仁成が大半の作詞及び全曲の作曲・編曲・プロデュースを担当したオリジナル・アルバム。タイトル曲でデビューシングルでもある「ZOO」は翌1989年にECHOESのセルフカバーがリリースされ、同バンドの代表曲となった。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3RgE0hW)
BONNIE PINKの楽曲で、21枚目のシングル。2006年6月28日にワーナーミュージック・ジャパンから発売。表題曲は、資生堂「ANESSA」CMソングに起用された。当初、シングルとして発売の予定は無く、楽曲はサビのみしかなかった。しかしCMオンエアー後、問い合わせが殺到したため、急遽他の部分も製作して発売された。またベスト・アルバム『Every Single Day -Complete BONNIE PINK(1995-2006)-』の先行シングルでもある。CM製作に当たり製作スタッフがBONNIE PINKの楽曲である「So Wonderful」を気に入っており、CMソングの依頼をした。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3AJzMJJ)
1986年5月1日にバップよりリリースされた、1986オメガトライブのデビューシングル。1986オメガトライブの知名度を上げた一曲であり、リードボーカルのカルロス・トシキ在籍時のオメガトライブの代表曲である。榊原郁恵が主演のテレビドラマの日本テレビ系列『新・熱中時代宣言』の主題歌。1986年7月23日発売の1枚目のアルバム『Navigator』にも「君は1000%」が収録されているが、シングルとヴォーカルとミックスが異なる。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3RdP2VK)
日本のガールズロックバンド・ZONEのメジャー3作目(通算4作目)のシングル。前作「大爆発 NO.1」から約3ヶ月ぶりのシングル。表題曲は井上真央主演のTBS系列ドラマ30『キッズ・ウォー3 〜ざけんなよ〜』の主題歌に起用された。ドラマ主題歌に起用されたのは自身初となった。今作で『第34回日本有線大賞』最優秀新人賞と、『第43回日本レコード大賞』新人賞を受賞した。また、『第52回NHK紅白歌合戦』に初出場も果たした。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3QQZwKJ)
五木ひろしの楽曲で、再デビューシングルである。五木ひろしは1965年に“松山まさる”としてデビューし、その後に一条英一、三谷謙と芸名を変えるも全くヒットには恵まれていなかった。そこで歌手生命のすべてを賭けてよみうりテレビ『全日本歌謡選手権』に挑戦し、10週を勝ち抜く。その結果、自身4つ目の芸名である“五木ひろし”で再デビュー、という経緯がある。そのため、五木は本曲について「自分の原点であり、全てのスタートを切った曲」であると強い思い入れを持っている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3yLPzq4)
日本のロックバンド・Suchmosの楽曲。彼らの2枚目のEP「LOVE&VICE」のリード曲として、2016年1月13日にSPACE SHOWER MUSICより発売(配信)された。Suchmosによって作詞作曲されたこの曲は、早いテンポのダンスチューンである。歌詞では、都会の酔っ払いに対する嫌悪感が描かれている。また、当楽曲は、2016年9月からHonda「VEZEL」のコマーシャルソングに使用された。また、スタジオ・アルバム「THE KIDS」にも収録された。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3crJsA2)
日本の音楽ユニットYOASOBIの楽曲。1作目の配信限定シングルとして2019年12月15日にリリースされた。小説を音楽にするユニット「YOASOBI」として初の作品。小説投稿サイト「monogatary.com」に投稿された星野舞夜の小説『タナトスの誘惑』を原作として作詞・作曲された。制作秘話として、「YOASOBIの一発目の曲で、デビュー曲ということもあるし、小説を音楽にするっていう新しい試みの第1弾だった」こともあり、「3カ月はかかりましたね」と語っている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3RMbMx7)
T-SQUAREの楽曲。THE SQUARE時代のアルバム『TRUTH』(1987年4月1日リリース)の表題曲として発表、1991年にシングルカットされた。「TRUTH」が当時(1987年 - 1998年)フジテレビ『F1グランプリ』のテーマ曲に起用され、折からの「F1ブーム」と相まり、THE SQUARE時代・T-SQUARE時代を通じ認知度が最も高い曲(F1と本曲の関わりについては後述)。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3B1m0Uk)
大野雄二が作曲した楽曲。モンキー・パンチ原作のアニメ『ルパン三世』の主題曲として1977年に発表された。シリーズの長期化と共に数多くのアレンジがなされており、『ルパン三世』を代表する曲として広く用いられている。現在では日本の高校野球の応援歌(主に『'78』を使用)として定番となっている他、FC東京のチャントとしてもよく使われている。演奏は一部を除き、大野が率いるYou and Explosion Bandが担当。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2sHzQ9B)
SIAM SHADEの6枚目のシングル。フジテレビ系アニメ『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』のエンディングテーマ。1997年から1998年にかけてチャートインした。初登場は7位で、リリースから2か月後の1998年1月に最高位である3位を記録し、最終的に約69.9万枚を売り上げ、バンド最大のヒットとなった。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3yVpiWE)
美輪明宏が自ら作詞作曲した1966年のヒット曲。美輪が幼少時に一緒に育った友人の亡き母(父や子供のために懸命に働き続けて亡くなった)を回顧する歌である。主人公の過去には幼少時、母親の職業(地均しの日雇い労働者)がきっかけでいじめを受けた悔しさ、グレそうになりながらも高校と大学を卒業し、高度経済成長期の機械が普及した世の中で立派なエンジニアに成長した姿なども折り込まれている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3OmW2xD)
1978年11月5日にフォーライフ・レコードから発売された杏里のデビュー・シングル。本楽曲は、シンガーソングライターの尾崎亜美が作詞・作曲を手掛けている。オリコンチャートでは最高65位、売上5万5千枚で当時としては目立ったヒットに至ってはいないが、時を経て多くの歌手にカヴァーされ、スタンダード・ナンバーへと成長した。製作者の尾崎もアルバム『MERIDIAN MELON』(1980.9.6)でセルフカバーをしている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3Qnmvgy)
ひろく世に知られている「たなばたさま」は、昭和16年に「国民学校令」が制定され国定教科書が編纂される際、「文部省が題材を指定の上、作詞を依頼した」(『音楽教育の証言者たち』上巻219頁)三作品中の一つである。一番の終わりに「砂子」という言葉を置いたのは、二番の頭の「五色」のゴ音が重なり、子供たちが二番を自然に歌い出すことができるように工夫したからである。「金銀砂子」とは星空を、金箔・銀箔の粉末をまき散らした日本の伝統装飾技法(蒔絵、日本画等)に例えている。また「砂子」は砂の雅語であり、天の川の川原の砂とも兼ねている。「五色」とは中国の陰陽五行思想からくる「五色」である。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3Oh2nev)
レベッカの4枚目のシングル。1985年10月21日にCBSソニー/FITZBEATから発売された。1985年、日本テレビ系ドラマ『ハーフポテトな俺たち』のエンディングテーマに起用され、大ヒットを収めている。当時としては異例のミリオンセラーを達成した同年発売のオリジナルアルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』をはじめ、後に発売されるベストアルバムにも何度か収録されており、レベッカを代表する曲の1つとして挙げられる。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3tyaYRO)
日本のシンガーソングライターである尾崎豊の4枚目のシングル。英題は「GRADUATION」(グラデュエーション)。尾崎の同級生の体験をもとに歌詞が制作され、最後にサビがリフレインしながら異なる展開に発展するなど既存の楽曲の形式を破った曲であるとも言われている。オリコンチャートでは最高位20位となり、尾崎の作品として初のランキング入りを果たした。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3mRyghL)
日本のフォーク・グループであるバンバンの楽曲。1975年8月1日に、同グループの5枚目のシングルとしてCBS・ソニーからリリースされた。過ぎ去った学生時代を思い出すという内容の曲で、タイトルにある『いちご白書』は、1970年に公開されたアメリカ映画で、1968年にコロンビア大学で実際に起こった学園紛争の手記をもとに制作されたものである。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2NGp6Ff)
憂歌団(ゆうかだん)は、日本のブルース・バンド。木村充揮・内田勘太郎・花岡献治・島田和夫の4人のメンバーは、1975年のデビュー当時から20年以上に渡り不動であった。1975年10月1日、トリオレコードのショーボートレーベルからシングル「おそうじオバチャン」でデビュー。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3PdseVG)
中森明菜の2枚目のシングル。1982年7月28日にワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)よりリリースされた。「少女A」は、1982年10月27日発売のスタジオ・アルバム『バリエーション〈変奏曲〉』からの先行シングルとして、1982年7月28日にシングル・レコード (EP: L-1616)で発売された。シングル・レコードのライナーノーツには本曲の楽譜が掲載された。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/39QKwvY)
日本のドラマーであるつのだ☆ひろが、1970年に発表した楽曲である。当時、恋をしていた留学生のマーガレット・ハーレーに向けて書いた曲。しかし、マーガレットという名前は曲に組み込むのが難しく、彼女の友人のメリー・ジェーンの名前を拝借した。結局、マーガレットへの恋は実らないまま終わったという。1971年6月につのだの所属したバンド「ストロベリー・パス」のアルバム『大鳥が地球にやってきた日』に収録された。この時のタイトルは「Mary Jane On My Mind」であったが、直後に現タイトルに変更した上でシングルカットされ、田原総一朗監督の映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』の主題歌に採用された。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3vZxBAh)
スコットランドの民謡「オールド・ラング・サイン」を原曲とした日本の唱歌である。日本語の訳詞は稲垣千頴による。「オールド・ラング・サイン」は、ヨーロッパ中に、さらには海を越えてアメリカ大陸へも普及していった。1881年(明治14年)、尋常小学校の唱歌として、小学唱歌集初編(小學唱歌集初編)が編纂されたとき、稲垣千頴が作詞した今様形式の歌詞が、「蛍」の題名で採用された。1941年12月、日本は第二次世界大戦へと突入。米英の音楽は禁止されたが、「蛍の光」は「庭の千草」などと並んで日本化されているとして禁止対象から除外された。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/38g8396)
2000年10月25日に発売されたMISIAの7枚目のシングル。2000年代の女性アーティストのシングルとしては最大の売上を記録した。シングルでは『忘れない日々』以来2度目となる本格的なバラード曲。金原千恵子によるストリングスなどが用いられている。フジテレビ系ドラマ『やまとなでしこ』主題歌となり大ヒットした。MISIAのシングルでは初のオリコンシングルチャート1位を獲得した。その後3週連続1位を獲得した後、返り咲きで通算4週1位を獲得した。公称出荷ベースでは200万枚を超えた。シングルでは唯一のミリオンセラーとなっている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3FzcW9i)
1991年4月21日にリリースされた西城秀樹の66枚目のシングル。フジテレビ系アニメ『ちびまる子ちゃん』(第1期)の2代目エンディングテーマに起用された。アニメのエンディングテーマとして使用される以前は、映画『ちびまる子ちゃん』が公開された当時、NTT『キャッチホン』のCMとしてオンエアされた。2019年5月19日に放送された『ちびまる子ちゃん』では、西城の1周忌に合わせエンディング・テーマに再使用、翌年以降も西城の周忌に当たる週にエンディングで使用された。2021年、初めて命日に当たる5月16日の放送で使用された。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3umhsV3)
小林明子のデビューシングル。1985年8月30日から放送されたTBS系テレビドラマ『金曜日の妻たちへIII・恋におちて』主題歌に起用された。同年11月1日、オリジナル・カラオケとメロ入りカラオケ、そしてボーカル入りの計3曲ずつ収録したシングル・カセット盤がリリースされた。2ndアルバムの『心のままに』に、初回限定盤として英語ヴァージョンのシングル(BRF-1001)が別途添付され、CDアルバムにはボーナス・トラックとして同アルバムの11曲目に収録された。平和より発表されたパチンコ『CRめぞん一刻~好きなのに…~』にもBGMとして採用されている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3uf6jFs)
COMPLEXのファースト・シングル。1984年にアイドルとしてデビューし、音楽以外にも映画やテレビ出演などで活動していた吉川晃司は、1988年2月3日にシングル「プリティ・デイト」発表後に1年間の休業宣言をし、事務所を独立、レコード会社を移籍、沈黙を続けていた。また1988年のBOØWY解散後にソロアルバム『GUITARHYTHM』を発表した布袋寅泰は、その後の活動が注目されている状況であったが、1988年12月10日に突如2人のユニット「COMPLEX」結成を発表。その後、第1弾シングルとして「BE MY BABY」リリース。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3v0dwYS)
イモ欽トリオの楽曲、1枚目のシングル。1981年8月5日発売。フジテレビ系バラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』から誕生した、山口良一(ヨシオ)、西山浩司(ワルオ)、長江健次(フツオ)の3人からなるユニットのデビュー・シングル。「テクノ歌謡」最大のヒット曲で、お茶の間に於ける「テクノ歌謡」のイメージを決定付けた金字塔的作品。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3NNhqNs)
1986年1月21日に発売された徳永英明のデビュー・シングル。徳永がバイト先の軽井沢で知り合った大木誠と共に作り上げた楽曲で、デビュー前に参加した自主制作のオムニバスアルバム「We Are Flamingo Generation Volume 1」に収録された。秋谷銀四郎がプロデュース。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3NKt8bL)
野口雨情作詞・中山晋平作曲の日本の童謡である。童謡としては1923年(大正12年)に中山晋平の譜面集「童謡小曲」に発表されたが、詩自体が最初に発表されたのは1922年(大正11年)のことである(仏教児童雑誌『金の塔』にて発表)。1936年(昭和11年)には野口雨情によって「シャボン玉」の3・4番の詩が追加された。2003年(平成15年)にNPO「日本童謡の会」が全国約5800人のアンケートに基づき発表した「好きな童謡」で第9位に選ばれた。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3McisBF)
MY LITTLE LOVERの3枚目のシングル。1995年8月21日発売。前作『白いカイト』から約1か月という早いペースで発売された。同年12月5日に発売された1枚目のアルバム『evergreen』以降、プロデューサーの小林武史がメンバーとして参加しているため、本作がakkoと藤井謙二という2人体制での最後の作品となる。2019年現在、MY LITTLE LOVERのシングルとしては最大のヒット曲である(オリコン調べによる)。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3CgJEuR)
1996年2月7日に発売されたウルフルズ10枚目のシングル。アルバム『バンザイ』発売2週間後にシングルカット。既発曲ながら徐々に売上を伸ばし、前作「ガッツだぜ!!」に続き50万枚を超えるヒット。フジテレビ系ドラマ『勝利の女神』の主題歌に起用。曲中の詞「ラララふたりで」の「ラララ」部分は当初、歌詞に適したフレーズを考え付くまでの暫定的な処置として仮に付けられた。結局メンバー全員でアイデアを絞ったが納得の行く言葉が見つからず、「ラララ」がそのまま採用となった。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3vrR7pj)
加藤登紀子が作詞・作曲を手がけた楽曲。歌詞は、主人公がかつての男の友人とともに、貧しいながらもたくましく生き抜いてきた昔のことを思い出すような内容となっている。1992年3月28日にライブ録音されたヴァージョン(編曲:菅野よう子、ピアノアレンジ:大口純一郎)が、同年に公開された宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』のエンディング・テーマに採用された。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3pNJNRt)
1984年1月21日に発売されたALFEE17枚目のシングル。発売は1984年だが、実際はデビュー当時1974年頃に曲が作られ、ライヴハウス時代(キャニオンより再デビュー前)は、Guitar Instrumentalで演奏された。作曲を担当した高見沢は、前作「メリーアン」のヒットを無駄にしないため「絶対に売れるための曲」を意識して何度も曲を書き直したという。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3IzCkwn)
LiSAの楽曲で、15枚目のCDシングル。前作『赤い罠(who loves it?)/ADAMAS』から約7か月ぶり、SACRA MUSIC移籍後4作目となる2019年1作目のCDシングル。表題曲の「紅蓮華」は、テレビアニメ『鬼滅の刃』のオープニングテーマとなっている[8]。同作の社会現象的な大ヒットにより、現時点で、LiSAにとって最大のヒット曲となっている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3qYRaGz)
オフコースの楽曲である。1982年2月1日に通算23枚目のシングルとして発売された。「言葉にできない」、「君におくる歌」両曲ともアルバム『over』[2]からのシングルカット曲で、アルバム収録曲と同内容。「言葉にできない」は、「Off course Concert 1982 “over”」[3]の最終公演地日本武道館での10日間連続公演最終日の6月30日と1989年2月26日に東京ドームで行われた“The Night with Us”で、小田和正が涙で声を詰まらせ、歌えなくなったことがある。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3AwCxxp)
Mr.Childrenの10枚目のシングルである。1996年2月5日にトイズファクトリーより発売された。前作『シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜』から約半年ぶりに発売されたシングル。ジャケットは桜井和寿の舌に「NO NAME」と書かれている。アートディレクターは信藤三雄。シングル曲のインストゥルメンタルバージョンが収録されたのは本作までとなっており、それ以降は2005年発売の27thシングル『四次元 Four Dimensions』に収録されている「ヨーイドン」のインストゥルメンタルバージョンのみとなっている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3IA2pLy)
1980年8月5日に発売された山本譲二のシングルである。山本の師匠である北島三郎が「いい曲があるから」と、山本に馬渕玄三(音楽ディレクター)に逢うよう指示され、馬渕の所へ行くと本曲作曲の三島大輔に引き合わされた。そこで聴かされたのが本曲であり、山本は「この曲を僕に歌わせて下さい」と自ら土下座して懇願、レコーディングを経て発売することになる。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3r1MvDS)
2人組で行う手遊び歌では、代表的な始め方として「せっせっせーのよいよいよい」のフレーズが挙げられる。このフレーズでは、まず自分の右手と相手の左手、自分の左手と相手の右手をつなぐ。そして「せっせっせー」で縦に3度振った後、つないだまま両手を交差させるようにし、「よいよいよい」で再度3度縦に振って手を離す。 「おちゃらかおちゃらかおちゃらかほい」でじゃんけんをし、以下「おちゃらか勝ったよ(負けたよ・あいこで)おちゃらかほい」で延々とじゃんけんを続ける歌。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/33JQc8p)
1993年11月10日に発売された、ORIGINAL LOVE通算5枚目のシングル。日本テレビ系ドラマ『大人のキス』主題歌として制作された。オリジナル・アルバムには未収録で、ベスト・アルバム『SUNNY SIDE OF ORIGINAL LOVE』に頭の歌い出しをカットし代わりにイントロがついたアルバム・ヴァージョンで収録され、シングル・ヴァージョンは『変身』と『THE BEST SELECTIONS OF ORIGINAL LOVE』、2枚のベスト・アルバムに収録された。なお、音楽プロデューサーの横山裕章は、この曲を「Just the Two of Us進行」が効果的に使われている例に挙げている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/30OnWzQ)
「関白宣言」は、さだが当時山本直純に紹介されて通っていた京都・先斗町のスナック「鳩」のママ(さだは母親と歳が近かったので「お母さん」と呼んでいた)に、「最近の男は駄目になった。だから若い娘も駄目になった。男はん、しっかりしとくれやっしゃ。お師匠はん、そういう歌を作っとくれやっしゃ」と言われたことがきっかけで作られた作品である。あえて男が強気な内容の歌詞なのはそのためである。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3FjwC04)
1985年4月にリリースされた中村あゆみの3枚目のシングルである。1988年5月21日にCDシングルとして再発されている。1985年「日清 カップヌードル」CMソングに起用され、2016年12月時点でパッケージメディア(レコード・CD)の売上は50万枚以上、音楽配信の売上は12万ダウンロード、ストリーミングの再生回数は約140万回、YouTubeでのミュージック・ビデオの再生回数は300万回以上を記録した中村あゆみ最大のヒット曲である。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3EhnCXV)
日本のボーカロイドプロデューサーであるバルーンが2016年にリリースした楽曲。ボーカロイドプロデューサーであるバルーンこと須田景凪が、2016年10月12日にVOCALOIDであるv flowerを用いてリリースした楽曲。同月17日には、自身の歌唱によるセルフカバー版のMVを公開した。なお「シャルル」はフランス語圏で主に男性の名として用いられる。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3HkiHrt)
1983年12月14日にALFA MOONから発売された山下達郎通算12作目のシングル。「クリスマス・イブ」は、アルバム『MELODIES』に収録された楽曲で、のちに『TREASURES』とオールタイム・ベスト・アルバム『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』などのベスト・アルバムにも収録された。松任谷由実の「恋人がサンタクロース」と並び、J-POP クリスマス・ソングの定番曲である。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3H5ikRq)
浜田雅功と槇原敬之名義で発売されたコラボレートシングル。2004年11月17日発売。発売元はR and C。ダウンタウンが司会を務めた、フジテレビ系音楽番組『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』に槇原敬之がゲスト出演した際、浜田雅功が作曲依頼したのがきっかけで作られた楽曲。槇原は一貫してコーラスに徹しており、主唱部分は浜田が全て歌っている。作詞は浜田の相方・松本人志が担当。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/302ZJW5)
稲垣潤一の27枚目のシングル。1992年10月28日にファンハウス(現:アリオラジャパン)から発売。クリスマスソングに数えられることが多いが、歌詞からわかるように、倦怠期の恋人同士がクリスマスまで距離を置いて、お互いの今後を見つめ直そうといった内容を、男の視点から歌った楽曲。従って、作中の季節としては冬ではない。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3rGJbhY)
高橋洋樹/(橋本潮)のシングル。1986年(昭和61年)3月1日に日本コロムビアから発売された。フジテレビおよび系列各局で放送されたテレビアニメ『ドラゴンボール』の主題歌。カップリング曲には、橋本潮が歌う「ロマンティックあげるよ」が収録されている。「魔訶不思議アドベンチャー!」はオープニングテーマ、「ロマンティックあげるよ」はエンディングテーマとして、『ドラゴンボール』の第1話(1986年2月26日)から最終話(1989年4月19日)までそれぞれ使用された。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3HtTM5k)
高橋洋子の11枚目のシングル。1995年10月25日にスターチャイルドから発売された。テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のオープニング曲。「テーゼ」とはドイツ語で命題・定立を意味する。作詞の依頼を受けた及川眠子は、キングレコードの大月俊倫プロデューサーから「哲学的な」「難しい歌詞にしてくれ」と注文を付けられた上で、未完成状態の第2話までのビデオと企画書を渡されたが、ビデオは早送りで視聴し、企画書も熟読することはなかったという。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3nvWcsx)
河島英五の楽曲のシングル・レコード。代表曲。河島のCBS・ソニー移籍第1弾として発表されたシングル盤。同名のアルバムと同日発売された。オリコンでのチャート・アクションは目立った記録を残してはいないが同年の『日本有線大賞』で「特別賞」を受賞した。その表題曲「時代おくれ」は白鶴酒造のコマーシャルソングに起用された楽曲で、酒場を舞台に、自身の生き様を静かに見つめ考える男性の心情を描いている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3CmBXkT)
日本の音楽ユニット・mihimaru GTの9作目のシングル。前作「さよならのうた」から約2ヶ月ぶりのシングル。表題曲はエムティーアイ『music.jp』と、メンバー出演のダリヤ『パルティ』のCMソング[1]、テレビ東京系列『スキバラ』のエンディングテーマに起用された。表題曲が複数のタイアップに起用されたのは「H.P.S.J. -mihimaru Ball MIX-」以来5作ぶり、ダリヤ『パルティ』のCMソングを担当するのは「ユルメのレイデ」以来4作ぶりとなった。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3FHMoCr)
2019年5月15日にポニーキャニオンから発売された、日本のピアノPOPバンド・Official髭男dismの2作目のシングル。前作『Stand By You EP』から7か月、シングルとしては『ノーダウト』以来約1年ぶりとなる。初めて映画主題歌に起用され、同作のドラマ版に引き続きの起用となった。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3lAyMkH)
尾崎紀世彦の楽曲。1971年3月5日、ソロ2枚目のシングルとして日本フォノグラム(現:ユニバーサル ミュージック合同会社)より発売。もともとは1969年(昭和44年)、三洋電機(現・パナソニック)のエアコンのCMソングの候補曲として作られたものであった。まず筒美京平が3曲書き下ろし、その中の1曲にやなせたかしが歌詞を付け、槇みちるが歌い完成。しかしこの曲はスポンサー側の方針変更により採用されなかった。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3mLswWI)
わらべの楽曲で、2枚目のシングル。1983年12月21日に発売。オリコンの集計では97.0万枚を売り上げ、わらべ最大のヒットシングルとなった。前年の「めだかの兄妹」のヒット後の、いわゆる「ニャンニャン事件」により、萩本のぞみ役の高部知子がグループから脱退したことを受け、新たに『萩本かなえ(倉沢淳美)・萩本たまえ(高橋真美)』の2人グループとして再出発作として発売された。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2YP5Nkr)
1974年2月25日に発売された和田アキ子の18枚目のシングル。和田の代表曲のひとつとして知られている。吉村明宏による「あの頃は ハッ!」というものまねで有名であるが、「ハッ!」のタイミングは和田本人が歌唱する時とは異なっている。このものまねのおかげで曲が有名になったため、後に発売されたCDの歌詞カードには従来は書かれていなかったHAが追加されている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3oVzBq6)
1973年4月20日に発売されたチューリップの通算3枚目のシングル。デビューからビートルズの影響を受けた、良質なシングル2枚・アルバム2枚を出したがヒットせず、3枚目のシングルが売れなかったら、地元福岡に帰るという話がでてきていた頃に背水の陣として生まれた曲である。リーダー財津和夫が上京する直前の心境(上京のために別れた女性への想い、など)を原点に書かれた。この曲を作るに当たって意識した曲は、はしだのりひことクライマックスの『花嫁』であり、この曲にも歌われている汽車の旅のロマンが受け入れられるのではと考えたと言う。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3hcLoMe)
竹内まりやの18枚目のシングル。日本テレビ『火曜サスペンス劇場』の8代目主題歌(1989年6月6日 - 1990年9月18日)として知られる、竹内まりやのロング・ヒット曲。自分を選ばず他の女性と結婚してしまった、かつて付き合っていた男性がその後離婚し再び独身に戻った(シングルアゲインになった)と噂で聞いた時の、女の揺れる複雑な心情を詞にした曲である。曲調はそれまでとは少し異なり歌謡曲に近い曲調となっている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3ng4uVs)
さだ まさし(本名:佐田 雅志〈読みは同じ〉、1952年〈昭和27年〉4月10日 - )は、日本のシンガーソングライター、タレント、小説家。國學院大學、東京藝術大学客員教授。ファンとスタッフの間では「まっさん」の愛称で親しまれている。トークの軽妙さは大きな魅力とされており、それで自身のコンサートのお客を楽しませ、またテレビ・ラジオ番組のパーソナリティーやMCなどとしても活躍。小説家としても活動し、『解夏』『眉山』などの作品を発表している。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3tnR9LL)
大塚愛の楽曲で、2枚目のシングルである。2003年12月17日に発売(発売元はavex trax)。前作から3ヶ月ぶりのリリース。表題曲は、TBS系音楽番組『COUNT DOWN TV』の2003年12月度オープニングテーマに起用され、その後、フジテレビ系バラエティ番組『めちゃ²イケてるッ!』の2004年度エンディングテーマにも起用された。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3jSrjg0)
「居酒屋」は元々、五木のLPにソロで収録されていた曲であるが、同じ徳間音工のバーボン・レーベルに所属していた木の実ナナがそのカバー・シングルをデュエット企画で発売するにあたり、デュエット相手として五木が指名されたという経緯がある。 自身では初めてのデュエット・シングルであり、最高位29位、登場週数48週、20万枚に迫る売上げを記録。 現在でも、カラオケでは男女デュエット・ソングの定番として人気が高い。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2X4H1f6)
MOON CHILDの5枚目のシングル。MOON CHILDのシングルで唯一、オリコンシングルチャートで1位を記録した作品であり、最大のヒット曲。この際、前週の9位から8ランクアップさせての1位獲得であった(登場3週目)。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3A3HPid)
杉山清貴&オメガトライブの5枚目のシングル。1985年3月6日にバップよりリリースされた。日本航空「JALPAK'85」CMソング。1985年7月1日発売のアルバム『ANOTHER SUMMER』に「ふたりの夏物語」が収録されているが、アルバムに収録される際にリミックスが施されている。後述のとおり、ベスト盤にはアルバムバージョンで収録されることが多く、一部を除いてその旨についての記述はない。更に2019年に発売された『OMEGA TRIBE GROOVE』には内沼映二による新たなリミックスバージョンが収録されている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2WGuHkM)
1996年9月4日に発売されたポケットビスケッツ2枚目のシングル。週間オリコンチャートでは1度もトップ3に入ることはなかったが、ロングヒットを続けミリオンセラーを達成し、ポケットビスケッツの最大のヒット曲となった。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/37hvZ7Y)
1971年2月10日に発売されたにしきのあきらの3枚目のシングル。オリコンチャートでは週間最高3位を獲得し、30.8万枚の売上を記録され、にしきののシングルとしては自身最大の売上となった。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3jmbD35)
1987年1月にリリースされた南野陽子の6枚目のシングル。南野が主演した東映系映画『スケバン刑事』(1987年2月14日公開)の主題歌となり、この曲で自身初のオリコン1位を獲得。またTBS系『ザ・ベストテン』と、日本テレビ系『歌のトップテン』では、両番組共に最高順位が自身初めて3位以内にランクインした。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3rRvCKX)
すかんち(SCANCH)は、タレントとしても活動しているROLLYを中心とした日本のロックバンド。1982年、大阪府高槻市においてROLLYを中心とした3人で結成される。インディーズでアルバムを2枚発表の後、1988年12月18日、ソニーミュージックグループ主催のSDオーディションに合格(同時合格者はカステラ、THE BOOM、森田浩司)。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3hlarvR)
工藤静香通算18枚目のシングル。1993年2月3日発売。発売元はポニーキャニオン。工藤静香最大の売上記録。サビの『ひと晩じゅう 泣いて 泣いて 泣いて』が印象的な歌詞である。フジテレビ系月曜9時枠ドラマ『あの日に帰りたい』(1993年1月11日〜3月22日放送)の主題歌。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3h34bK7)
アルペンのCFソング。自身最大のヒット曲となった。「ミュージックステーション」「歌のトップテン」などに初出演した。1990年代を強く意識した明るい曲調の楽曲であるが、80年代最後のシングルでもある。そのため、後年に森若がインタビューなどで本曲を「ギリで80年代の曲」と発言していた。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2TgfANH)
2001年、新井満が、アメリカ合衆国発祥とされるこの詩を日本語に訳し、自ら曲を付けた。原詩の3行目 "I am a thousand winds that blow" を借りて『千の風になって』のタイトルがつけられた。この歌の歌詞に秋・冬・朝・夜があって春・夏・昼がないのは、原詩で韻を踏むためにそれらの言葉が使われているためである。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3hfsqDY)
『あしたのジョー』 は、原作:高森朝雄(梶原一騎)・作画:ちばてつやによる日本の漫画作品。ボクシングをテーマにしたスポーツ漫画である。『週刊少年マガジン』(講談社)に、1968年1月1日号(発売日は1967年12月15日)から1973年5月13日号にかけて連載された。2010年12月時点で単行本累計発行部数は2500万部を突破している。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3hivA9L)
藤谷美和子と大内義昭によるデュエット楽曲である。1994年(平成6年)2月21日に日本コロムビアより8センチCDシングルとして発売された。藤谷美和子の歌手としてのデビューシングルであり、また1994年に放送された藤谷主演の連続テレビドラマ『そのうち結婚する君へ』(日本テレビ系)の挿入歌であった。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3g6GKhz)
小泉今日子が1984年12月にリリースした13枚目のシングルである。小泉今日子が初主演した日本ヘラルド配給映画『生徒諸君!』の主題歌となった。1991年11月には8cmCDがリリース(カップリングは「木枯しに抱かれて」)されている。累計出荷枚数は56万枚。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3wSWxqG)
『キャプテン翼』(キャプテンつばさ)は、高橋陽一による同名漫画を原作としたテレビアニメである。歌詞に出てくる「チャンバ」という言葉の意味は、諸説あるものの長らく不明とされており、有名なものに「おばあちゃんの業界用語」説、「ポルトガル語の新聞記者」説などがあったが、『Sportiva』2009年6月号に掲載された吉岡への電話インタビューにおいて、「バーチャン」を業界用語風に言い換えたものであることが明らかになった。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3fFkWdB)
『ひみつのアッコちゃん』は、赤塚不二夫による日本の少女漫画である。エンディングテーマ「すきすきソング」は、そのコミカルな曲調から、現在でも日本の高校野球を初め、Jリーグのジェフユナイテッド市原・千葉、カターレ富山、FC岐阜および、JFLのHonda FC、奈良クラブの応援歌としてよく使われている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3wVDOLv)
台湾出身の歌手、欧陽菲菲のシングルである。日本における欧陽菲菲の代表曲の一つ。元は1979年7月1日発売の「うわさのディスコ・クィーン」(ポリドール DR6337)のB面曲だった。しかし「うわさのディスコ・クィーン」は中国語バージョンが台湾や香港でヒットしたものの、当時日本国内では2〜3万枚の売上に終わった。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3txZdJc)
杏里の14枚目のシングル。 1983年11月5日発売。発売元はフォーライフ・レコード。「オリビアを聴きながら」、『CAT'S EYE』と共に、杏里を代表する一曲でもあり、翌月発売で6枚目のオリジナルアルバム『Timely!!』からの先行シングル曲であった。プロモーションビデオも初めて制作されている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3epEGjU)
NOKKOの5枚目のシングル。1994年3月9日発売。発売元はSony Records。自身がボーカルを務めるレベッカ解散(1991年2月)後のシングル。1994年のオリコン年間ヒットチャートでは、第32位にランクインした。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3v7X47k)
『古畑任三郎』(ふるはた にんざぶろう)は、フジテレビ系で放送された刑事ドラマシリーズであり、同作の主人公の名称。主演は田村正和。田村正和演じる警部補の古畑任三郎が、ゲスト俳優演じる犯人による殺人(一部殺人で無い案件もあり)のアリバイやトリックを巧みな話術と卓越した推理力で崩していき、完璧と思われていた犯行の真相を解明していく。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/32y33WW)
『一休さん』(いっきゅうさん)は、日本の禅僧・一休宗純の子供時代の説話『一休咄』などを基にしたテレビアニメである。1975年10月15日から1982年6月28日まで、NETテレビ(日本教育テレビ、本作本放送中の1977年からテレビ朝日)系列で全296話が放送された。中央児童福祉審議会推薦番組。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/32y2TPk)
主に1970年代から1980年代に活躍した音楽グループ、ゴダイゴの代表曲である。作詞は奈良橋陽子(英語詞)と山上路夫(日本語詞)、作曲はタケカワユキヒデによる。日本テレビ系ドラマ『西遊記』のエンディング・テーマとして使用された(オープニング・テーマは同じゴダイゴの「Monkey Magic」である)。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3tLhdj5)
松山千春が1981年4月にリリースした10枚目のシングル。1978年の「季節の中で」以来となるオリコン・シングルチャートでの1位獲得となった。オリコン上における松山千春のシングル売上枚数では、1981年の年間第5位に輝くなど、松山自身最大のヒット曲となった。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/399SRrm)
日本のミュージシャンである忌野清志郎と坂本龍一とのコラボレーションシングル。忌野の実質的なソロデビューシングルである。1982年2月14日にロンドンレコードより発売。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2OUZsiC)
1980年8月にリリースされた山口百恵の31枚目のシングルである。10月15日のホリプロ20周年記念式典を最後に山口百恵は芸能界から引退した。ジャケットの題字は、百恵本人の自筆による。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2NMa2rr)
ビリー・バンバン(Billy BanBan)は、日本の音楽グループ。菅原孝、進の兄弟2人によるフォークデュオ。特色として、兄弟デュオであるが、弁舌さわやかな兄の孝と、口下手な弟の進という対照的な2人のコンビとなっている。また、2人兄弟と思われがちであるが、長兄がおり3人兄弟の次男と三男の兄弟デュオである。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3vWkrly)
1979年12月1日に発売されたオフコース通算17枚目のシングル。「さよなら」は、オリジナル・アルバムには未収録曲。後にベスト・アルバム『SELECTION 1978-81』にビル・シュネーによるミックスで収録されたほか、ライヴ・ヴァージョンがライヴ・アルバム『LIVE』に収録された。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3p7phI6)
1995年(平成7年)5月10日に発売された、シンガーソングライター・岡本真夜のデビューシングルである。TBS系ドラマ『セカンド・チャンス』主題歌。オリコンシングルチャートでは登場8週目で週間1位を獲得。なお、このシングルが岡本にとって唯一の同チャート1位獲得曲となっている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3rAIF1Y)
葉加瀬 太郎(はかせ たろう、1968年1月23日 - )は、日本のヴァイオリニスト、ミュージシャンである。本名は髙田 太郎(たかた たろう)。旧姓は葉加瀬。ハッツマネージメント所属。レーベルは自身が音楽監督を務めるHATS UNLIMITED。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2OmpieH)
ケツメイシの7枚目のシングル。2003年7月16日発売。前作から約半年ぶりのリリース。ボーダフォン日本法人(現ソフトバンク)のCMソングに起用された。PVは「大磯ロングビーチ」で撮影され、時間を逆戻しに編集した逆再生仕様が間奏部で流れる。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3cR5JFz)
『朧月夜』(おぼろづきよ)は叙情歌、童謡、唱歌。文部省唱歌。作詞高野辰之、作曲岡野貞一。1914年(大正3年)『尋常小学唱歌 第六学年用』に初出。検定教科書が用いられるようになった1948年(昭和23年)から小学校6年生の音楽教科書において採用され、平成以降も取り上げられている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3tFVTw9)
1977年8月10日に発売された松崎しげるの14枚目のシングル。1977年、三浦友和と山口百恵の共演するコマーシャルに流れたことで「愛の微笑み」は注目を集め、同年8月に、歌詞を一部改変して「愛のメモリー」としてリリースすると瞬く間にヒットを記録。同年暮れの『第28回NHK紅白歌合戦』に初出場も果たした。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/35BdTNG)
さだまさしが作曲した楽曲で、テレビドラマ『北の国から』の主題歌である。曲名の表記は「北の国から」あるいは「遥かなる大地より」「遙かなる大地より」とも表記される。作曲・編曲ともさだ自身による楽曲で基本は歌詞のないインストゥルメンタルであるが、さだと白鳥座によるコーラスが入る。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3bzApun)
土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲による歌曲。哀調をおびたメロディと歌詞が特徴。七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した楽曲。特に、日本で作曲された初めての西洋音楽の歌曲とされ、日本の歴史的に重要な曲である。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3bAIeQb)
SUPER BUTTER DOGの8thシングル。2001年盤はビニール封上に「ミニベスト」と書かれてるシールが張ってあり、カップリングには既発曲がバージョン違いを含めて3曲収録されている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2Xywgyj)
玉置浩二の10作目のシングル。1996年5月22日に発売された。発売元はSony Records。前作から約11ヶ月ぶりに発売したシングル。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/38EMQmx)
水木は本曲を「名刺代わり」だと公言しており、何度もリメイクしている。作詞の「東文彦」は当時東映の制作部長だった渡邊亮徳の筆名。作家・文学者の東文彦とは無関係。元々は「Zのテーマ」が主題歌として制作されていたが、渡邊亮徳から「パンチが弱い」と指摘され、新たにこちらが制作された。作曲は1日で行われた。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3lyYd2x)
1988年10月21日に発売された爆風スランプ12枚目のシングルである。売り上げは34万枚。爆風スランプを代表する1曲であり、『第39回NHK紅白歌合戦』でも歌われた。歌詞の内容は陸上部を背景としているが、このシングルを最後にバンドを脱退した江川ほーじんの姿になぞらえて作られた。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3mu1gus)
オリジナル・バージョンは、1980年に喜納昌吉&チャンプルーズの2枚目のアルバム『BLOOD LINE』に収録されている。また、シングル発売もされた。ここでは、喜納友子(喜納昌吉の前妻)がボーカル、ゲストのライ・クーダーがギター、スライド・ギター、マンドリンを担当している。オリジナルの曲名は「すべての人の心に花を」だが、レコード会社がつけた「花」という副題も浸透している。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3ofq1uN)
1996年5月13日に発売された久保田利伸 with NAOMI CAMPBELLのシングル。久保田利伸としては16作目となるシングル。久保田利伸 with ナオミ・キャンベル名義でリリース。ナオミ・キャンベルとのコラボレーションに至った経緯には、ニューヨーク在住中の久保田が、偶然ナオミと同じマンションに住んでおり、そのエレベーター内で対面し、後に意気投合したことから実現している。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3qjl1am)
歌詞は、実話を題材にして書かれたという話が定説化していた。静岡県清水市有渡郡不二見村(現在の静岡市清水区宮加三)出身の岩崎かよの娘・佐野きみ(1902年(明治35年)7月15日 - 1911年(明治44年)9月15日)がその赤い靴を履いていた少女のモデルとされた。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/32bj8Ch)
前1992年のNHK『第43回NHK紅白歌合戦』を以ってチェッカーズを解散した後、本格ソロ活動第1弾として発売されたシングルである。ただし、グループ在籍時の1988年に、チェッカーズ内でのソロ活動の一環としてシングル「Mother's Touch」を発売しているが、本名(チェッカーズ時代の名義)の藤井郁弥名義であったため、藤井フミヤ名義で初、公式ではソロデビュー・シングルとして扱われることが多い。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/34TRxa9)
日本のロックシンガー佐野元春の22枚目のシングル。1989年4月21日発売。1992年10月28日に再レコーディングされリリースされた。アルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』の先行シングル。当時スランプに陥っていた自身を励ますために書いた。『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』に収録されたバージョンと基本的に同じであるが、曲冒頭のカウントがカットされている。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2HSXVGh)
北山修が作詞、加藤和彦が作曲し2人の連名で発表した歌曲。1971年4月5日にレコード発売。1994年3月30日にはCDシングルも発売されている。「あの素晴らしい愛をもう一度」と誤って表記されることが多い。2002年のザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)新結成のときも「素晴しい」とクレジットされた。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3jWcFkH)
1974年春、ロック関係の若いミュージシャンに発注した作品を、キャラメル・ママが演奏するという企画で、キングトーンズの15周年記念アルバムが計画された。この頃2人で組んで何か作品を作ろうと話し合っていた山下達郎と伊藤銀次は早速、キングトーンズのライヴを見に行き、10日程で書き上げた3曲のうちの1曲。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2I3bTVu)
手塚治虫のSF漫画作品及び同作を原作としたテレビアニメ、特撮テレビ番組の作品名、並びに作品内の主人公である架空のロボットの名称である。テレビアニメ版で使用された主題歌の曲名でもあり、同シリーズゲームのタイトル名にもなっている。21世紀の未来を舞台に、原子力(後に核融合)をエネルギー源として動き、人と同等の感情を持った少年ロボット、アトムが活躍する物語。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/2Ubr2qF)
1969年3月10日に発売された由紀さおりのシングルレコードである。本曲はタイトルの通りに、1番は具体的な歌詞が全く登場せず、大半が「ルー、ルールルルー…」というスキャットで歌われる楽曲である(2番は普通に日本語の歌詞で歌唱)。大ヒットに至った火付け役として、ラジオの深夜放送が挙げられることがある。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3naxEC9)
星野源の楽曲。2016年10月5日にSPEEDSTAR RECORDSより9枚目のシングルとして発売された。楽曲は自身が出演したTBS系テレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の主題歌としても使用。この楽曲は音楽評論家から肯定的評価を受け、特に評論家は現代社会における新しい価値観として"恋"の多様性を歌っている点を評価している。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3lhylcq)
今井美樹の12枚目のシングル。1996年11月4日発売。今井美樹の代表曲であり、最大のヒット曲。本人もお気に入りの楽曲であり、ライブでは毎回必ず歌われる。「Miss You」以来となるドラマ主題歌となりヒット。発売週のオリコンシングルチャートでは、前作の累計売上の約2倍となる初動売上を記録。ドラマの高視聴率と共に売上も伸び、最終的には160万枚を超える大ヒット曲となった。約1ヶ月間上位をキープし続けた後、ドラマが終盤となった12月下旬に、再び返り咲きで2週連続の同チャート1位を獲得した。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/35dDkFi)
THE BOOMが1995年3月24日に発表した16枚目のシングル。「日本のサンバを作りたい」というボーカル・宮沢和史のひらめきから作られた曲であり、多くのパーカッションを使用。6thオリジナル・アルバム『極東サンバ』発売後、シングルカットされた。TV等でよく取り上げられ、4ヶ月近くヒットチャートにもランクインしていた。現在までに世界中でカヴァーされており、その人気は未だ根強い。 (フリー百科事典 ウィキペディア日本語版より:https://bit.ly/3pcJYnl)
1983年4月3日から日本テレビ系列で放送がはじまったアニメ「キン肉マン」。第1話~第65話のオープニングテーマに起用された「キン肉マンGO FIGHT!」は串田アキラが歌いキン肉マンの世界観を表現した。「初回放送から7人の悪魔超人編まで使用」された「キン肉マンGO FIGHT!」。怪獣退治編と第20回超人オリンピック編をベースにした歌詞と言われているが「ああ、心に愛がなければ スーパーヒーローじゃないのさ」決めるところをきっちり決めているキン肉マン一の名曲としてファンに愛されている。Text by エムP
1989年4月26日に発売されたCOMPLEXのファーストアルバム「COMPLEX」。アイドルとしてデビュー、本格派アーティストに転身を図った『吉川晃司』とBOØWY解散後、海外進出を目指しソロアルバムを発表した布袋寅泰で結成したCOMPLEX。先行シングル「BE MY BABY」で一気に火が付くと、アルバム「COMPLEX」もオリコン・アルバムチャートで1位を獲得。1989年度年間アルバムランキングでも20位にチャートイン!若者の心を掴んだ名アルバムである。ちなみに、レコーディングは、ジョージ・マーティンが所有するエアー・スタジオ・モンセラットで行われた。Text by エムP
2002年12月4日に発売されたクレイジーケンバンドの5枚目シングル『タイガー&ドラゴン』。2005年4月15日、TBS系列で同名のテレビドラマのオープニングテーマとして起用されたのをキッカケに同年4月27日再発売されると大ブレイク!週間オリコンランキングの最高順位は17位だったが、『ドラマの影響力と楽曲のインパクトが織りなす効果でロングランヒット』オリコン登場回数48回を誇るクレイジーケンバンドの代表曲となった。Text by エムP
1991年8月25日に発売された大事MANブラザーズバンドの3枚目シングル『それが大事』。テレビ朝日系列「スポーツフロンティア」のエンディングテーマとして起用されるがヒットに至らず…。その後、フジテレビ系列『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』のテーマソングで起用されると1991年12月9日のオリコンチャートで17位にランクイン!その後もじわじわと順位を上げ12月30日付けで遂に1位を獲得。その勢いは留まることを知らず1992年度年間ランキングでも第4位にランクインした名曲なのである。Text by エムP
1975年2月5日に発売されたチューリップの8枚目シングル『サボテンの花』。同年4月5日に発売されたアルバム『無限軌道』からのシングルカットで週間オリコンランキングの最高順位は19位だった。広く知れ渡っている『サボテンの花』は、フジテレビ系ドラマ『ひとつ屋根の下』の主題歌に起用された財津和夫のソロ名義でリメイクした作品「サボテンの花~ひとつ屋根の下より~」である。Text by エムP
1993年7月26日に発売された松任谷由実の24枚目シングル『真夏の夜の夢』。「ANNIVERSARY~無限にCALLING YOU」以来、4年ぶりのシングルとなった『真夏の夜の夢』は、TBS系ドラマ『誰にも言えない』の主題歌に選ばれると、週間オリコンランキングで第1位を獲得、1993年度年間ランキングでも8位を記録。オリコンチャートの登場週数が19週を誇った同曲の累計売上は143万枚を突破!自身最大のヒット曲であり、オリコン歴代シングルランクランキングでは100位にランクインしている名曲である。(※2020年7月現在)Text by エムP
1974年3月5日に発売されたフィンガー5の5枚目シングル『学園天国』。クラス一番の美人の席を奪い合う『学生にとって一大イベントだった席替え』をテーマにした『学園天国』は、同世代のハートを打ち抜き大ヒット!週間オリコンランキングの最高順位は第2位、1974年度年間ランキングでも10位を記録、累計売上は105万枚を超えた。ちなみに、フィンガー5の歴代シングル売上では、「恋のダイヤル6700」「個人授業」に続き3番目の売上枚数を誇っている。Text by エムP
1993年12月10日に発売された大黒摩季の6枚目シングル『あなただけ見つめてる』。テレビ朝日系列アニメ『SLAM DUNK』の初代エンディングテーマに起用されると、発売から3か月でミリオンセラーを達成。週間オリコンランキングの最高順位は第2位、登場回数は22回を誇り、1994年度年間ランキングでも8位を記録している。大黒摩季にとって、「ら・ら・ら」に次ぐ自身2番目の売上123万枚超えを記録した名曲である。Text by エムP
1993年4月21日に発売されたclassの1枚目シングル『夏の日の1993』。デビューシングルにもかかわらず、テレビ朝日系列の深夜番組のエンディングテーマ、セゾンカードのCMソングに起用されると美しい男性デュオの歌声に心を動かされ有線放送にリクエストが殺到し瞬く間に大ヒット、週間オリコンランキングの最高順位は第3位、1993年度年間ランキングでも15位を記録すると累計売上は115万枚を超えていった。タイトル『夏の日の1993』と明記したことで、『1993年度デビューシングル最大のヒット曲』として刻まれた名曲である。Text by エムP
1992年3月21日に発売された平松愛理の8枚目シングル『部屋とYシャツと私』。1990年12月15日に発売された3枚目の『アルバム「MY DEAR」からシングルカット』された同曲は、女性の素直な気持ちを表した歌詞が受け入れられ大ヒット。週間オリコンランキングの最高順位は第4位、1992年度の年間ランキングでも17位を記録した。長きに渡って愛された『部屋とYシャツと私』の売上枚数は100万枚超え!自身最大のヒット曲となっている。Text by エムP
1990年にCMソングとして発表されて話題となり、1991年2月21日に発売されたSAYURIの1枚目シングル『ウイスキーが、お好きでしょ』。1990年~1991年、サントリーのウイスキー「サントリークレスト12年」のCMソングとして流れた『ウイスキーが、お好きでしょ』は、石川さゆりが妖艶に歌い上げ話題を呼ぶ。その後、『SAYURI名義のCD』として発売されたがヒットすることはなく、石川さゆりの隠れた名曲として語り継がれることとなる。Text by エムP
2004年7月7日に発売された松平健の「マツケンサンバ」シリーズ第2弾のミニアルバム『マツケンサンバⅡ』。日産自動車のイメージソングとして起用されたマツケンサンバⅡは、日舞の動きを元にした激しい振付と金ラメの派手な和装が若者に大ウケ!週間オリコンシングルチャート初登場17位。その後は上昇と下降を繰り返したが、発売以来長期間にわたってチャート100位以内をキープし続け、2004年度の年間ランキングは68位、翌2005年度は31位と大きくジャンプアップしていった。Text by エムP
2000年9月2日に発売されたEGO-WRAPPIN`の3枚目ミニアルバムに収録されていた『色彩のブルース』。EGO-WRAPPIN`のインディーズとして最後のアルバムとなった『色彩のブルース』。表題曲『色彩のブルース』がFMラジオでかかると多数の問い合わせが発生。その勢いが外資系レコード店に波及するとインディーズ・チャートで1位を獲得。一度聴けば心に残るブルース楽曲は異例のロングランヒットを記録。『日本を代表するブルース楽曲』となった。Text by エムP
1981年11月21日に発売された薬師丸ひろ子の1枚目シングル『セーラー服と機関銃』。自らが主演を務めた映画『セーラー服と機関銃』の主題歌で歌手デビューを果たすと、週間オリコンランキングで5週連続第1位を記録!1982年度年間ランキングでは第2位とデビューシングルで次々と快挙を達成。翌年も勢いは衰えず『オリコンチャートの登場週数は22週を記録』、1982年度の年間ランキングでも24位に入るロングランヒットとなり薬師丸ひろ子にとってデビュー曲が最大のヒット曲となった。Text by エムP
1979年11月21日に発売されたクリスタルキングの1枚目シングル『大都会』。ムッシュ吉崎の「低音ボーカル」と田中昌之による「高音ボーカル」という組み合わせによるツインボーカルは非常に魅力的で第10回『世界歌謡祭でグランプリを受賞』。デビューシングルながら!週間オリコンランキングは第1位。1980年度年間オリコンランキングでも第3位にランクイン!累計売上、150万枚を誇った歌声が記憶に残る名曲である。Text by エムP
1993年12月1日に発売されたピチカート・ファイブの5枚目シングル『東京は夜の七時』。流行の最先端だった渋谷系の代表曲としてブレイク!週間オリコンランキングの最高順位は50位だったが…、フジテレビ系子供向けバラエティー番組『ウゴウゴルーガ2号』のオープニングに採用されたり、様々なアーティストがカバーバージョンを発表する等、長い年月愛され続けている名曲である。Text by エムP
1991年11月7日に発売されたZOOの4枚目シングル『Choo Choo TRAIN』。リリースされる1ヵ月前、10月からJR東日本『JR Ski Ski』CMソングに起用された『Choo Choo TRAIN』は発売と同時に話題となり週間オリコンランキングの最高順位は第3位を記録。100万枚を超えのミリオンセラーを記録した同曲は1992年度年間オリコンチャートでも12位にランクインした。この功績が評価され、JR東日本は1995年までZOOの楽曲をCMソングとして起用することとなった。Text by エムP
楽曲『ひょっこりひょうたん島』は…、1964年4月6日から1969年4月4日までNHK総合テレビで放送された人形劇番組『ひょっこりひょうたん島』の主題歌。作詞は井上ひさしと山元護久、作曲・編曲は宇野誠一郎が手掛け、歌は前川陽子とひばり児童合唱団が担当。放送開始から最終回まで5年間に渡ってオープニングを飾った名曲である。初出音盤は、1964年9月24日に朝日ソノラマから発売されたソノシート絵本『ひょっこりひょうたん島わんわん騒動』であった。Text by エムP
1997年3月21日に発売された松たか子のデビューシングル『明日、春が来たら』。テレビドラマ、映画、舞台等、人気女優として幅広く活躍していた松たか子の記念すべきデビューシングル。NTT「わくわく新生活キャンペーン」のCMソングに起用され、週間オリコンランキング初登場15位でチャートイン。5週目に最高順位の8位を記録、約50万枚を売り上げる松たか子のシングル最大ヒット曲となった。前年(1996年)『史上最年少19歳でNHK紅白歌合戦の紅組司会に抜擢』された松たか子。翌年「第48回NHK紅白歌合戦」では歌手として堂々の初出場を果たすのであった。Text by エムP
2002年2月6日に発売された元ちとせのメジャーデビューシングル『ワダツミの木』。デビューシングル、ノンタイアップだったにも拘わらず週間オリコンチャート、初登場で第19位という驚異的なロケットスタート!その後もじわじわと数字をあげると発売から約2カ月後、遂に第1位を獲得(4月22日付け)。2002年度年間オリコンランキングは第3位、TBSに人気音楽番組「COUNT DOWN TV」の年間チャートでは第1位を記録。この年『驚異的な記録を次々と生み出したデビューシングル』として語り継がれていった。Text by エムP
1990年8月22日に発売されたバブルガム・ブラザーズの10枚目シングル『WON`T BE LONG』。リリース後しばらく目立った反響は無かったが…、1991年3月30日の「オールナイトフジ」(フジテレビ)の最終回スペシャルで、『WON`T BE LONG』を気に入っていたとんねるずが生放送中に2度かけたところ、フジテレビに問い合わせが殺到!カラオケでの歌いやすさも功を奏して1992年1月にはミリオンセラーを突破!累計販売枚数は170万円を超えるスーパーヒットを記録。『大ヒットの立役者はとんねるず』だったのです。Text by エムP
1998年2月21日に発売されたMISIAのデビューシングル『つつみ込むように…』。通常の8㎝盤の他に、CDのレーベル面をジャケットにした12㎝盤ピクチャーCDの2種類を同時発売した。3月9日付け週間オリコンランキングに93位でランクインしたのは8㎝盤CD。その後曲タイトル通りじわじわと包み込むようにしてファンを増やすと最高順位は11位までランクアップしていく。1週間遅れ(3月16日付)でチャートインした12㎝盤CDの最高順位は20位。長きに渡ってWチャートインを果たす。8㎝盤と12㎝盤を合算集計すると最高順位は8位。更に調べてみると、最高順位を4週間に渡ってキープするほど『2種類のCDが安定した売上』をみせていたのです。Text by エムP
1970年2月10日、日本クラウンから発売された渥美清のシングル『男はつらいよ』。テキ屋稼業を生業とする『フーテンの寅』こと車寅次郎が、故郷の葛飾柴又に戻ってきては、何かと騒動を起こす人情喜劇映画『男はつらいよ』。旬なマドンナとの恋模様!日本各地の美しい風景を背景に描かれる同作は全48作。シリーズ映画の最高峰として数々の金字塔を打ち立てた。同作の主題歌として誕生した『男はつらいよ』のシングル売上は38万枚。これだけ広く親しまれている名曲にもかかわらず、1970年代に発売したシングルとしては平凡な売上だったのは意外である。Text by エムP
1967年2月テイチクレコードから発売された石原裕次郎のシングル『夜霧よ今夜も有難う』。1942年、ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマンのW主演で描かれた映画『カサブランカ』を翻案して、石原裕次郎と浅丘ルリ子のW主演により映画化された『夜霧よ今夜も有難う』。この映画の主題歌として産声をあげた『夜霧よ今夜も有難う』は255万枚を売り上げた名曲である。Text by エムP
1995年3月15日に発売されたH Jungle with tの1枚目シングル『WOW WOW TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント~』。お笑いコンビ!ダウンタウンの浜田雅功と音楽プロデューサー小室哲哉のコラボレーションによって制作された作品。オリコンシングルチャートで7週連続第1位という記録を打ち立て、1995年度年間オリコンシングルチャートでは第2位に輝いた。その結果、累計売上200万枚を突破する大ヒット!異色の音楽ユニット・H Jungle with tは、デビュー曲で『Wミリオン』という快挙を成し遂げた。Text by エムP
2004年4月28日に発売された平井堅の20枚目シングル『瞳をとじて』。週間オリコンランキングの最高順位は第2位だったが、累計出荷枚数は100万枚を超えた『瞳をとじて』は『2004年オリコンシングルチャート第1位』を獲得!2002年に発売した大ヒット曲「大きな古時計」を凌いで自身のシングル最高売上を誇る名曲となった。ちなみに、週間オリコンランキングで1位を獲得出来ず、年間1位を獲得したのは1987年度の「命くれない」(瀬川瑛子)以来17年ぶりで、ポップス系としては初の快挙だった。Text by エムP
1980年1月21日に発売されたRCサクセションの9枚目シングル『雨上がりの夜空に』。いつも一緒に行動を共にしていた忌野清志郎と仲井戸麗市はライブの最後に盛り上がる楽曲を作ろうと誓い!仲井戸麗市がギターでリフを弾き、忌野清志郎が口ずさんで出来上がった名曲。当時、オリコンチャートに入るようなヒット曲とはならなかったが、じわじわと浸透していった名曲は日本のロック界のスタンダード・ナンバーとして成長した。仲井戸麗市は、『雨上がりの夜空に』について、共作した二人の『絆と友情の大きな証のようもの』と答えている。Text by エムP
1977年10月1日に発売された山口百恵の19枚目シングル『秋桜』。リリースから3週間かけて登りつめたオリコンシングルチャートの最高順位は第3位。嫁ぐ娘が母を想う気持ちを歌い上げた名曲は、「日本の歌百選」にも選ばれている。当初は『小春日和』というタイトルだったが曲を聴いた酒井正利プロデューサーの提案で『秋桜』となった。楽曲を提供したさだまさしは、本来の和名である「あきざくら」と読ませるつもりだった。Text by エムP
1954年11月3日に公開した特撮怪獣映画「ゴジラ」の主題歌として産声をあげた『ゴジラのテーマ』。日本を代表する作曲家の1人、『伊福部昭が手掛けた楽曲』である。ゴジラシリーズで最も有名かつ人気楽曲と言われている『ゴジラのテーマ』。時を経て…、指揮・和田薫、日本センチェリー交響楽団が演奏する!映画『ゴジラ』(1954)全曲版~ライブ・シネマ形式完全劇伴全曲録音が発売されることとなった。Text by エムP
1983年3月25日に発売されたH2Oの5枚目シングル『想い出がいっぱい』。フジテレビで放送されたテレビアニメ『みゆき』の主題歌に起用されると、アニメは放送開始から高視聴率をマーク。その甲斐あって主題歌『想い出がいっぱい』も徐々に売上を伸ばすと自身初のオリコンシングルチャート入り。結果、最高順位は6位!累計売上も40万枚を超えるヒット曲となった。Text by エムP
1990年5月1日に発売されたあんしんパパのシングル『はじめてのチュウ』。フジテレビ系列で放送されたテレビアニメ『キテレツ大百科』のオープニング楽曲。オープニング曲変更後はエンディング曲に移り、一時、他の楽曲に奪われても再びエンディング曲に復活!その結果、1993年1月時点で約2万枚を売り上げ、1995年版として発売したシングルは10万枚を超えている。Text by エムP
1991年2月6日に発売された小田和正の6枚目シングル『ラブ・ストーリーは突然に』。シングル『Oh! Yeah!』のカップリング曲で、両A面シングルとして「恋は大騒ぎ」以来1年ぶりにリリースしたシングルCDは、週間オリコンランキングで1位を獲得しただけでなく、1991年年間オリコンランキングでもNO.1に輝く。売上枚数270万枚を超え!当時の日本におけるシングルCDの売上記録を更新した大ヒット曲である。Text by エムP
1973年10月に発売された前川陽子のシングル『キューティーハニー』。1973年10月13日~1974年3月30日までテレビ朝日系列で放送されたアニメ『キューティーハニー』の主題歌として世代を超えて一世風靡したアニソン。『朝日ソノラマ盤』として産声をあげた『キューティーハニー』には、「夜霧のハニー」の他、音声ドラマ「パンサークローのおそろしいわな」が収録されている斬新なシングルレコードだった。Text by エムP
1978年3月25日に発売された『北島三郎の110枚目シングル』『与作』。NHKの音楽番組「あなたのメロディー」にジャズギターリスト・七澤公典が応募した『与作』。一度は却下されたが、アップデートを重ねようやく採用されると番組内で弦哲也が熱唱すると年間最優秀作品に選ばれた。その結果、弦哲也、千昌夫、そして北島三郎がシングル楽曲としてリリース!北島三郎バージョンが最もヒットした。競作したレコードの累計売上は60万枚を突破する大ヒットとなり北島三郎の代表曲となった。Text by エムP
2002年2月6日に発売された氷川きよしの3枚目シングル『きよしのズンドコ節』。当初は「若い男女の恋物語」をテーマにする予定だったが、作詞・松井由利夫と氷川きよし本人の意向で急遽、『故郷にいる母親への思い』が3番の歌詞として追加された。この想いを歌い上げた『きよしのズンドコ節』は、週間オリコンランキングで5位を記録する大ヒット!この年以降、全国の盆踊り大会の定番曲となり故郷にいる母親へ思いを届ける名曲となった。Text by エムP
1988年11月23日に発売されたTHE BLUE HEARTSメジャーデビュー5枚目のシングル『TRAIN-TRAIN』。TBS系列の斉藤由貴主演の学園ドラマ『はいすくーる落書』の主題歌に起用されると、バンド結成以来、初のオリコンチャートベスト10入りを果たす。週間オリコンランキングの最高順位は5位。1989年度年間オリコンランキングでも29位にランクインしている。Text by エムP
1974年10月5日に発売されたサディスティック・ミカ・バンドの3枚目シングル『タイムマシンにおねがい』。『アルバム黒船の先行シングル』として発売された『タイムマシンにおねがい』は、サディスティック・ミカ・バンドの代表曲として数多くのアーティストにカバーされている。特筆すべきは、荒井由実や女優・のん他、表現力豊かなアーティストが好んでカバーした名曲であること。Text by エムP
1979年5月25日に発売された八代亜紀の28枚目シングル『舟唄』。アルバム『舟唄』を同日付けで発売する程、期待を込めて投下した楽曲だったが、発売当初は予想に反して低調な滑り出しだった。しかし、同年の『第30回NHK紅白歌合戦で大トリ』で『舟唄』を披露すると年明けから売れ行きが一気に加速!八代亜紀の代表曲として育っていった。ちなみに、シングル『舟唄』のオリコン最高順位は15位。アルバム『舟唄』のオリコン最高順位は9位だった。Text by エムP
1965年11月10日に発売された、北島三郎の37枚目シングル『函館の女』。発売当初はA面が「北海道物語」、B面が『函館の女』だった。後にA面とB面が入れ替わった『函館の女』は、北島三郎の代表曲へと成長を遂げていく。特に、1971年から30年以上に渡って使われ続けた『永谷園のさけ茶づけ』の替歌CM。日本中で『函館の女』のフレーズを知らぬ人は居ないと断言できるほど口ずさまれていた。その甲斐あってか!?『函館の女』は140万枚を超える大ヒット作となったのです。Text by エムP
1987年5月1日に発売された山口百恵の22枚目シングル『プレイバックPart2』。『本人の魅力を余すことなく凝縮した名曲』『プレイバックPart2』の週間オリコンランキング最高順位は2位で惜しくも第1位は獲得できなかった。ちなみに、1978年度の年間オリコンランキングは第15位だったが、当時、大人気だった音楽番組『ザ・ベストテン』では、第5位にランクインしている。Text by エムP
2001年7月18日に発売された木村弓のデビューシングル『いつも何度でも』。日本歴代興行収入第1位の308億円を記録した映画「千と千尋の神隠し」の主題歌に起用された『いつも何度でも』の週間オリコンランキング最高順位は、第6位。2001年度の年間オリコンランキングは第43位を記録。「第43回日本レコード大賞・金賞受賞」だけでなく、『第25回日本アカデミー賞・主題歌賞受賞』等、輝かしい賞を数多く受賞した脳裏に焼き付く名曲である。Text by エムP
1981年10月21日に発売された松谷祐子のデビューシングル『ラムのラブソング』。フジテレビ系アニメ「うる星やつら」の主題歌として起用された『ラムのラブソング』は第1話~100話までの約2年間オープニング楽曲に使用された同作を代表する楽曲である。週間オリコンランキングの最高順位は50位だったが、「うる星やつら」の主題歌として最も知名度と人気が高いアニソン界の名曲中に名曲の1つである。ちなみに、JASRACには『うる星やつらのテーマ』と登録されているため、一部CDやメディアでは『ラムのラブソング』と表記されていない場合がある。Text by エムP
1979年9月21日に発売された、ロス・インディオ&シルヴィアのデビューシングル『別れても好きな人』。本作のレコードは、松平ケメコ盤~パープルシャドウズ盤~ロス・インディオス盤(男性ヴォーカル・バージョン)が発売されていたが、『男女デュエット用に編曲された』ロス・インディオス&シルヴィア盤は大ヒット!週間オリコンランキングの最高順位は4位。ミリオンセールスを超える大ヒット曲となった。Text by エムP
1972年3月25日に発売された、和田アキ子の11枚目シングル『あの鐘を鳴らすのはあなた』。ホリプロの堀威夫社長が作詞家・阿久悠に「和田アキ子に日本レコード大賞の歌唱賞をとるにふさわしい曲を作って欲しい」と依頼して生まれた楽曲が『あの鐘を鳴らすのはあなた』。堀威夫社長は「ケ・サラ」のようない曲を作って欲しいと頼んだが、阿久悠は「人生」という語り口はどうかと考え『時代と孤独をテーマに作詞』した。阿久悠の狙いは見事的中!『第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞』を受賞。多くの世代から愛され自他ともに認める和田アキ子の代表曲である。Text by エムP
1995年12月6日に発売された、ウルフルズの9枚目シングル『ガッツだぜ!!』。初週の売上は奮わなかったが、徐々に売上を伸ばしていった『ガッツだぜ!!』は、週間オリコンランキング第6位まで上り詰め、1996年度年間ランキングでも36位と大躍進!累計売上は、66.3万枚を記録する大ヒット曲となるウルフルズが『ブレイクするキッカケとなった名曲』である。Text by エムP
1990年7月7日に発売された、徳永英明の10枚目シングル『壊れかけのRadio』。デビュー曲「Rainy Blue」で『優しく透明感のある歌声』を披露すると一気に日本を代表するシンガーソングライターの1人と成長していく。この不動の地位を築いた徳永英明の代表曲が『壊れかけのRadio』週間オリコンランキング最高順位は5位、1990年度年間ランキングは23位、累計売上は36万枚。2005年「第56回NHK紅白歌合戦」の出演者選考の際に行った「スキウタ~紅白みんなでアンケート~」で白組56位にランクインした愛すべき名曲なのである。※ちなみに、白組1位は「世界に一つだけの花」(SMAP)だった。Text by エムP
1968年11月10日に発売された、水前寺清子の23枚目シングル『三百六十五歩のマーチ』。演歌歌手としてヒット曲を連発していた水前寺清子がはじめてリリースした歌謡曲ナンバー。ジャケット写真も今までの着流しから一転、『マーチングバンドのドラムメジャー姿』となり水前寺ファンは驚きを隠せなかった。『三百六十五歩のマーチ』の週間オリコンランキング最高順位は12位、1969年度年間ランキングは36位。「第11回日本レコード大賞」で大衆賞を受賞後もロングランヒット!累計売上は100万枚を突破!水前寺清子の最大のヒット曲であり代表曲となった。Text by エムP
1989年4月29日に発売された、UNICORNの1枚目シングル『大迷惑』。既に「BOOM」「PANIC ATTACK」と2枚のアルバムをリリースしていたUNICORN待望のファーストシングル『大迷惑』は、3枚目のアルバム「服部」の先行シングルとして発売された作品である。デビューシングルがここまで遅れた理由を、奥田民生は「忘れていた」とコメント!オリコンではメジャーデビュー作品に「デビュー」のマークを付けていたが、『大迷惑』には、『デビューのマークが付けられなかった』というエピソードがある。Text by エムP
1980年8月21日に発売された、五輪真弓18枚目のシングル『恋人よ』。蠱惑的な魅力を兼ね備えた『恋人よ』はオリコンシングルチャートで3週連続第1位を記録。『35週に渡って100位以内にランクイン』するロングランヒット、累計売上は100万枚を突破!ミリオンセラーを記録する大ヒット曲となった。同年、9月6日にはアルバム『恋人よ』も発売、こちらもオリコン・アルバムチャートで第1位を獲得。『恋人よ』を知らぬ日本人は居ないと言わしめるほど国民に浸透した名曲なのである。Text by エムP
1981年11月25日に発売された、大橋純子18枚目のシングル『シルエット・ロマンス』。発売当初は話題にならなかったが…、『一度聴いたら最後!女心を見事に歌い上げる』大橋純子に魅了された人々の声でジワジワと売上を伸ばす。発売半年後、1982年5月24日付けのオリコンでは最高順位の第7位を記録。年間ランキングでも18位にランクイン、累計売上は50万枚を突破。桑田佳祐、徳永英明、石井竜也、坂本冬美、ZEROら錚々たるアーティストがカバーする名曲でもある。Text by エムP
1990年4月8日に発売された、米米CLUB10枚目のシングル『浪漫飛行』。実は、『西日本版と東日本版の2種類をリリース』している。この2枚、ジャケットデザインや収録曲も異なったため、オリコン上で2種類の『浪漫飛行』が個別にランクインする事態が起こった。ちなみに、西日本版『浪漫飛行』のオリコン最高順位は第3位。東日本版『浪漫飛行』は米米CLUB初のオリコン第1位を記録している。2種類のCD売上は100万枚突破するミリオンセラーを記録。米米CLUBの魅力を日本中に発信する名曲となった。Text by エムP
1993年3月10日に発売された、スターダスト・レビュー10枚目のアルバム「SOLA」の1曲目に収録されている『木蘭の涙』。同年、7月25日に25枚目のシングルとして発売すると、「JAPANESE DREAM 1993年7月度月間グランプリを受賞」。CD売上15万枚を誇るヒット曲となった。尚、曲タイトル『木蘭は木蓮の漢語表記』。ちなみに、美しい紫の花を咲かせる春の花・木蓮の花言葉は「自然への愛」「持続性」である。Text by エムP
1992年6月25日に発売された、森高千里の16枚目のシングル『私がオバさんになっても』。斉藤由貴が相撲部屋の女将さんを務めたテレビドラマ『まったナシ!』の主題歌として注目を浴びるが、オリコン最高順位は15位と惜しくもベストテン入りはならなかった。しかし、『10代女性の心を打ち抜いた見事な歌詞』は、新たな女性ファンを獲得!アイドル歌手から名実ともに一流アーティストに仲間入りを果たした名曲である。Text by エムP
2000年10月12日に発売された、キリンジの6枚目のシングル『エイリアンズ』。堀込高樹と堀込泰行の『兄弟ユニット』が奏でる『エイリアンズ』はオリコン登場回数2回、最高順位も42位と大ヒットしたわけではないが、不思議な響きに酔える『エイリアンズ』は、YouTube再生回数1200万回を超えている。(※2019年8月末現在)一度ふれあうと酔わされてしまう名曲。恐ろしい楽曲の1つである。Text by エムP
1984年11月25日に発売された、吉幾三名義の8枚目のシングル『俺ら東京さ行ぐだ』。「テレビも無ェ」「ラジオも無ェ」「ピアノも無ェ」「バーも無ェ」「電話も無ェ」「電気が無ェ」…。無い無い尽くしの自虐的な歌詞は、発売当初、出身地である青森県北津軽郡から『うちはそんな田舎じゃない』と猛抗議を受けたが、奇しくもインパクトのある『俺ら東京さ行ぐだ』は大ヒット!週間オリコンランキングの最高順位は第4位。1985年の年間オリコンランキングでも21位を記録、後に故郷の人たちも大喜びしている。めでたし、めでたし。Text by エムP
1980年10月1日発売された、矢野顕子の6枚目アルバム『ごはんができたよ』に収録されていた『ひとつだけ』。1年前に発売された、アグネス・チャンのアルバム「美しい日々」に提供された楽曲である。矢野顕子とアグネス・チャンの『ひとつだけ』、歌詞の一部が異なることが話題になった。特にアグネス・チャン「愛してるわ」と歌うところが「ねえお願い」になっている部分。矢野顕子の魅惑ボイスと「ねえお願い」のベストフレーズに注目すべし。Text by エムP
1992年3月21日発売された、DALIのデビューシングル『ムーンライト伝説』。テレビアニメ『美少女戦士セーラームーン』シリーズのオープニング主題歌として、1992年3月7日第1話から1994年3月12日第89話まで2年間に渡って流れていた。インターネットのランキング等では、1990年代を代表するアニメソングとして常に上位にランクインするアニソン界が認める名曲である。Text by エムP
1990年4月4日に発売されたB.B.クィーンズの1枚目のシングル『おどるポンポコリン』。テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の初代エンディングテーマに起用されると、ナンセンスな歌詞が当時の世相に受け入れられ子供から大人までまんべんなく大流行!デビュー曲にも拘わらず週間オリコンランキング1位を獲得。更に「全国歌謡ベストテン」では、13週連続第1位を記録すると、年間オリコンランキングでも1位を獲得。累計売上は160万枚を超え!日曜の夕方の定番曲として心に染み入る名曲となった。Text by エムP
1983年8月1日に発売された、松田聖子の14枚目シングル『ガラスの林檎/SWEET MEMORIES』。発売当初は、A面『ガラスの林檎』としてリリース。3週目(8月15日付)でオリコンランキング1位を獲得。その後、ベスト10圏外に陥落するが、B面の『SWEET MEMORIES』がじわじわと話題になり再びチャートイン。10月31日付の同チャートで11週ぶりに1位に返り咲くという快挙を達成!ちなみに、10月20日追加発売分から両A面シングルとしてジャケットが新しくなっている。Text by エムP
1999年4月16日発売された、布袋寅泰の18枚目シングル『バンビーナ』。布袋寅泰曰く「ロデオ・ロックなサウンドに仕上がっている」と言わしめた『バンビーナ』は、人気音楽番組「COUNT DOWN TV」のオープニングテーマに起用されると、週間オリコンランキングで第2位まで登りつめ、累計売上は30万枚を突破した。尚、「COUNT DOWN TV」に出演した際、同郷の後輩である「BACK-TICK」のベーシスト・樋口豊の実兄、ヤガミトール(樋口隆)がドラムで参加している。Text by エムP
1990年5月21日に発売されたTUBEの11枚目シングル『あー夏休み』。JTの「SomeTime LIGHTS」のCMソングとしてお茶の間で披露されると、夏休みを前にした若者の間で人気となり、6月度月間オリコンランキングで12位、7月度でも18位を記録。同年の年間オリコンランキングでも48位を記録。累計売上は20万枚を超え!夏=TUBEの礎となっていった。Text by エムP
1997年7月30日に発売された、エレファントカシマシの15枚目シングル『今宵の月のように』。フジテレビ・火曜21時枠ドラマ『月の輝く夜だから』の主題歌として産声をあげた同曲。ドラマ担当プロデューサーから内容に沿うように依頼され、宮本浩次が作詞・作曲を手掛けた『今宵の月のように』は、ドラマを昇華させる名曲として人々の心に刻まれた。シングル楽曲として初のオリコンTOP10入り(最高順位は8位)を果たすと知名度は一気にアップ!エレファントカシマシにとって最大のヒット曲となった。Text by エムP
1989年7月5日に発売された、Winkの5枚目シングル『淋しい熱帯魚』。パナソニックのヘッドホンステレオS-TYPEのCMにWinkが出演して『淋しい熱帯魚』のワンフレーズを歌っていた。その甲斐あって、7月17日付け『週間オリコンランキング初登場第1位』に輝くと11月27日付けまで、20週に渡って週間ランキング100位以内に名を連ねた。結果、54万枚を売上1989年の年間ランキングでは第7位にランクインしたWinkの名曲である。Text by エムP
1972年6月5日に発売された、山本リンダの20枚目シングル『どうにもとまらない』。切れ目の入ったパンタロンに赤いブラウス!『へそ出しルックに過激な振り付け』で歌番組に出演するとそのインパクトで視聴者を釘付け!週間オリコンランキングで3位を記録すると、年間ランキンでも32位にランクイン、自身最大のヒット曲として累計売上は30万枚を突破した。Text by エムP
1980年5月1日に発売された、山下達郎の6枚目のシングル『RIDE ON TIME』。同年、9月19日に発売されたアルバム『RIDE ON TIME』の先行シングルとして発売されている。『日立マクセルのカセットテープCMソング』に起用されると、透き通るような歌声と圧倒的な歌唱力を見事に包みこんだ爽快なメロディーが視聴者の心を鷲掴み!週間オリコンランキング最高順位は3位、年間ランキングは25位を記録!累計売上も50万枚を突破し山下達郎の代表曲として歌い継がれている名曲である。Text by エムP
1994年11月10日に発売されたMr.Childrenの6枚目シングル『Tomorrow never knows』。『初週売上67万のロケットスタート』を記録すると、3週間の累計売上で100枚を突破!週間オリコンランキングはもちろん第1位に輝くが、セールス期間が短かったため、1994年度、年間オリコンランキングは第22位だった。その後もロングランヒット続けた同曲は、1995年度の年間ランキングで第4位に大きくジャンプアップ。累計売上は276万枚超え!Mr.Children最大のヒット曲となった。尚、1994年度の年間オリコンランキング第1位は、「innocent world」である。Text by エムP
1995年6月21日に発売された真心ブラザーズの12枚目シングル『サマーヌード』。日清食品「カップヌードル」の1995年夏季限定商品「サマーヌードル」のCFタイアップ曲としてお披露目されたが、週間オリコンランキングの最高順位は81位、年間ランキングは509位と奮わず。ところが、多数の歌手がカバー楽曲を手掛け、更に映画、テレビドラマ、漫画他、様々な作品に楽曲が起用され、『ジャパニーズPOP真夏の代名詞』として広く愛されるナンバーとなった。Text by エムP
1978年4月21日に発売された渡辺真知子の2枚目シングル『かもめが翔んだ日』。『声楽出身』で圧倒的な声量を武器に「迷い道」でデビューするとたちまち一流歌手の仲間入りを果たした。セカンドシングル『かもめが翔んだ日』の週間オリコンランキングの最高順位は第5位を記録、累計売上46万枚を超える大ヒット!同曲で第20回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞すると、その後は、「ブルー」「たとえば…たとえば」「唇よ、熱く君を語れ」とたて続けにヒット曲を生み出していった。Text by エムP
1974年3月5日に発売された“かぐや姫”のアルバム『3階建の詩』に収録されていた『なごり雪』。他、収録曲には、「22歳の別れ」「赤ちょうちん」等の名曲も収められている。同アルバムは、週間オリコンランキングで第1位を獲得すると、年間ランキングでも第5位に輝いた。更に、翌1975年の年間ランキングでも25位にランクイン!かぐや姫の代表的アルバムとして語り継がれている。1975年11月5日、イルカによるカバーシングル「なごり雪」が発売されると、翌年にかけてロングランヒット。週間オリコンランキングの最高順位は第4位。1976年度年間オリコンランキングでは、50万枚以上のセールスを記録し第11位にランクイン。累計売上は80万枚を超え、イルカのシングル楽曲として最大の売上を記録すると共に代表曲として歌い継がれていったのです。Text by エムP
1987年4月8日に発売された、TM NETWORKの20枚目シングル『Get Wild』。テレビアニメ『シティーハンター』(日本テレビ系列)のエンディングテーマで起用されると、週間オリコンランキングで9位を記録。グループ初のオリコンシングルベスト10入りを果たすと、26週間に渡ってベスト100にランクインするロングセラーへ。その結果、累計売上22万枚を記録、1987年度年間ランキングでも22位を獲得。TM NETWORKが名実共に認知された功労楽曲と言われている。Text by エムP
1985年3月21日に発売された、岩崎良美の20枚目シングル『タッチ』。あだち充が描いた大人気漫画『タッチ』をフジテレビがアニメーションとして放送!オープニングテーマに起用されるとアニメ&野球ファンを中心に愛され、週間オリコンランキングで最高順位12位を記録。1985年度年間ランキングでも39位を記録。累計売上24.7万枚を誇り岩崎良美最大のヒット曲となった。ちなみに、『タッチ』の単行本&文庫本などを合計した総売上部数は1億部を突破!あだち充最大のヒット作でもある。Text by エムP
1961年10月15日に発売された、坂本九の10枚目シングル『上を向いて歩こう』。作詞・永六輔、作曲・中村八大を合わせて『六八九トリオ』が手掛けた『上を向いて歩こう』は日本だけでなく世界中で大ヒットしていった。1963年には、「SUKIYAKI」というタイトルで海外発売すると、アメリカで最も権威があるヒットチャート誌「ビルボード」の「billbord Hot100」で3週連続1位を獲得!日本人アーティストが日本語歌詞を歌って1位を記録するという快挙は未だに坂本九しか達成していない大偉業である。ちなみに、1964年、米国内でのレコード売上枚数が100万枚を越え日本人初の「ゴールドディスク」も受賞している。Text by エムP
1994年6月1に発売された、斉藤和義の4枚目シングル『歩いて帰ろう』。1994年4月より、フジテレビ系の人気子供番組「ポンキッキーズ」2代目オープニングテーマに起用され話題となり週間オリコンランキングの最高順位は60位、累計売上は、47,580枚を記録。2010年4月21日に発売した38枚目のシングル『ずっと好きだった』まで6年間、自身の最高売上を保持した楽曲である。ちなみに、『ずっと好きだった』の累計売上は、47,631枚。その差、僅か『51枚』で首位の座を明け渡した。Text by エムP
1987年7月22日に発売された、BOØWYの6枚目シングル『Marionett』。アニメーションを使用したミュージック・ビデオが制作され、テレビ放映される他にCDビデオとしてもリリースするなど、ビジュアル的なアプローチを積極的に行っていた反面、この年は一切テレビ出演によるプロモーションは行わなかった。それでも、人気絶頂のBOØWYの『Marionett』は、オリコンシングルチャートは第1位を獲得すると、8月度の月間チャートも1位を記録。1987年度年間チャートでは20位を記録する躍進ぶりだった。Text by エムP
1996年6月21日に発売された、UAの4枚目シングル『情熱』。初動から過去最高記録の順位を更新すると、徐々に順位を上げ続け最終的には『オリコンシングルチャートの最高順位は15位』まで上り詰めた。更にオリコンチャートの登場回数23回を誇るロングランヒットとなりUAの名前をメジャーにした代表曲となった。TBSの「M-Navi」のエンディング曲として使用されたが、番組タイアップの影響はほとんど無かったと言われている。Text by エムP
1990年2月7日に発売された、LINDBERGの2枚目シングル『今すぐKiss Me』。フジテレビ月曜9時枠、通称「月9ドラマ」の『世界で一番君が好き!』主題歌。『今すぐKISS ME』が流れるオープニング映像で、主演の浅野温子と三上博史が色んなシュチエーションのキスシーンが使用され、同曲とのマッチングが最大級に評価されると共に、オリコンシングルチャートで第1位を獲得。1990年の年間シングルチャートでも第3位を記録し、LINDBERGの初ヒットにして最大のヒット曲となった。Text by エムP
1975年12月25日、フジテレビの子供向け番組『ひらけ!ポンキッキ』のオリジナルナンバーとして発売されたシングル楽曲。1975年10月5日、『ひらけ!ポンキッキ』の番組内で初めて『およげ!たいやきくん』を披露されると、リクエストカードが殺到!その後もフジテレビへレコード発売の問い合わせが殺到し、満を持して発売すると「毎日、毎日、10万枚を超える注文が殺到!」と歌詞を揶揄するほどの社会現象となり、結果、450万枚以上を売上、オリコン調べにおいて日本におけるシングル盤の最高売上記録する楽曲として君臨している。Text by エムP
1979年7月1日に発売された、ゴダイゴの11枚目シングル『銀河鉄道999』。同年のオリコン年間チャートで14位、人気音楽番組「ザ・ベストテン」でも1位に輝いているが、週間オリコンランキングの最高順位は2位であった。『東映アニメーション』が初めて手掛ける自主製作映画となった松本零士原作の『銀河鉄道999』。プロデューサーの高見義雄は、テレビアニメとは全く別の新しい作品の主題歌として当時、大人気を誇っていたゴダイゴを起用すべきか悩んでいた。実際に、コンサート会場に足を運び子供から大人まで広い世代を魅了する熱気を肌で感じ取り決定した。また、TVスペシャル版においても、オープニングテーマとして使用されている。Text by エムP
1984年5月21日に発売された、高橋真梨子の10枚目シングル『桃色吐息』。三貴の『カメリアダイヤモンド』のCMソングとして一躍脚光を浴びると、オリコンシングルチャートの週間最高順位は第4位。1984年度の年間ランキングでも23位を記録!高橋真梨子にとって最大のヒット曲となる。この勢いのまま、第26回日本レコード大賞作詞賞も受賞!「第35回NHK紅白歌合戦」にも初出場を果たし、名実ともに日本の名曲として歌い継がれていった。Text by エムP
1973年12月1日に発売された、井上陽水の3枚目のアルバム『氷の世界』のA面の5曲目に収録されているのがタイトル楽曲『氷の世界』である。当時、LP(アルバム)はEP(シングル)と比べて非常に高価であったが、100週以上に渡って売上セールスのBEST10に留まるロングセールスを続け、発売から2年後の8月に日本レコード史上初のLP販売100万枚突破の金字塔を打ち立てた。また、オリコンのLPチャートでは5度も1位に返り咲くという珍記録を持っている。結果、累計売上は140万枚を記録したモンスターアルバムである。Text by エムP
1988年11月28日に発売された、竹内まりや17枚目のシングル『元気を出して』。オリコンの週間ランキングの最高順位は70位。オリコンチャート登場回数は7回と売上的には大ヒットしていないが…、世代を超えて親しまれた名曲として、テレビドラマ「フレーフレー人生!」(よみうりテレビ)、「続、平成夫婦茶碗」(日本テレビ)や坂井真紀主演「東京ビューティーセンター」のCMでも使用され、2011年インターネットで行われた竹内まりやの一番好きなシングルランキングでも得票数トップを獲得する等、自身にとって選ばれし名曲の1つとなっている。Text by エムP
1997年1月22日に発売された、山崎まさよし4枚目のシングル『One more time,One more chance』。山崎まさよしの初主演映画『月とキャベツ』の主題歌に起用されロングランヒット!オリコンの週間ランキングの最高順位は18位。1997年度、年間ランキングは97位だったが、累計売上30万枚を超え!山崎まさよし初期の代表曲の1つと言われている。Text by エムP
1990年9月1日に発売された、KANの8枚目のシングル『愛は勝つ』。「クイズおもしろTV」(テレビ朝日)のエンディングテーマに起用。後に「邦ちゃんのやまだかってないテレビ」(フジテレビ)の挿入歌に起用されると国民の心を鷲掴み!オリコンで8週連続第1位を獲得するロングヒットを記録すると売上枚数は200万枚を突破。翌年、1991年には第33回日本レコード大賞を受賞し、名実共に日本を代表する応援楽曲として人々に愛されている名曲である。Text by エムP
1983年11月25日に発売された、安全地帯の4枚目のシングル『ワインレッドの心』。主演・市毛良枝、三田村邦彦のテレビドラマ「間違いだらけの夫選び」(フジテレビ)のエンディングテーマに起用されると、安全地帯の音楽性とボーカル玉置浩二の美声が人々を魅了し初のオリコン週間チャート1位を獲得。翌年もその余波は続き『1984年年間チャート2位』を記録、売上枚数も70万枚を超え、安全地帯の代表曲として歌い継がれている。Text by エムP
1990年5月5日に発売された、たまのデビューシングル『さよなら人類』。当時、一大ムーヴメントを引き起こし、バンドブームの片翼を担っていたテレビ番組『平成名物TV・三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS)の『14代目イカ天キング』を獲得!そのままメジャーデビューを果たしたシンデレラバンドである。歴代のイカ天キングの中でも、音楽性の幅の広さは秀逸で、その片鱗はデビュー曲『さよなら人類』で見事に披露している。デビュー曲を引っ提げて第41回NHK紅白歌合戦にも出場すると日本国民の大きなインパクトを与えた。Text by エムP
1989年1月11日に発売された美空ひばり304枚目のシングル『川の流れのように』。昭和の歌姫・美空ひばりが生前最後に発表したシングルとして語り草になっている名曲。結果的に遺作となった本楽曲は、没後も売上を伸ばし続け150万枚を売り上げるミリオンセラーを記録。1964年にリリース、第7回日本レコード大賞を受賞楽曲「柔」に次ぐ大ヒット曲となった。『生前最後のシングル』となった本楽曲は、第31回日本レコード大賞金賞受賞曲に輝いたが、「柔」以来、実に24年ぶりで日本レコード大賞にノミネートされた楽曲でもあった。ちなみに、「柔」は、211枚目のシングルである。Text by エムP
1982年1月21日に発売された松田聖子の8枚目のシングル『赤いスイートピー』。週間オリコンシングル―チャートで1位を獲得すると、そのまま2月度の月間チャートでも1位を獲得、年間チャートでも12位を記録し、本人も大好きな楽曲と言わしめた代表曲の1つ。この楽曲製作で新参者として加わった作曲家の名前は『呉田軽穂』。誰も聞いたことが無い『呉田軽穂』の正体が!「松任谷由実」であることが後に大きな話題となっていった。Text by エムP
1996年2月19日に発売されたJUDY AND MARYの9枚目のシングル『そばかす』。フジテレビ系アニメ「るろうに剣心」の初代オープニングテーマとして誕生した楽曲『そばかす』は、バンドとして初のオリコンシングルチャート1位を獲得する大快挙を遂げる。結果、100万枚を超すミリオンセラーも達成!一気にスターダムの階段を駆け上がっていくが、意外にも『そばかす』がJUDY AND MARYシングルCD『唯一のミリオンセラー』なのである。Text by エムP
ソーラン節は、北海道・日本海沿岸地域の民謡。発祥地は、後志の積丹半島、余市郡と言われている。ニシン漁の際に唄われた「鰊場作業唄」の一節、『沖揚げ音頭』が分化し、独自に変化して『ソーラン節』と呼ばれるようになった。1974年4月、NHK「みんなのうた」で初放送された『ソーラン節』。歌手として歌い上げたのは穴倉正信とロイヤルナイツだった。Text by エムP
1985年11月20日に発売された小林旭の124枚目シングル『熱き心に』。『大瀧詠一』が書下ろした楽曲にストリングスを用いた印象的なサウンドが特徴。小林旭節がジワジワと国民に浸透していった『熱き心に』は、累計売上枚数37万枚を超え、1986年のオリコンシングルチャートで第20位に入ると、同年の「第28回日本レコード大賞」でも、金賞、作詞賞、特別選奨賞と3つの賞を受賞した。Text by エムP
1983年8月5日に発売された杏里の13枚目のシングル『CAT'S EYE』。テレビアニメ「キャッツ・アイ」のオープニングテーマとして使用された『CAT'S EYE』は、オリコンシングルチャートで5週連続第1位を記録。結果、1983年度年間シングルチャートでも6位に入る大ヒット!最終的には130万枚を超えている。1984年、春には第56回選抜高校野球大会入場行進曲に選出され『アニメ主題歌初の快挙』となり、杏里の存在を全国に轟かせる代表曲となった。Text by エムP
1930年、13本の糸を有する日本の伝統楽器の『筝(そう)』宮城道雄が演奏、尺八を吉田春風が吹奏した二重奏『初の海』がレコーディングされた。13本の糸を有する日本の伝統楽器『筝(そう)』を操る筝曲家『宮城道雄』が作曲した『春の海』は新日本音楽を代表する楽曲である。日本では、小学校における音楽の鑑賞用教材として指定されているほか、テレビやラジオ番組のお正月の定番BGMとして使用されているため、日本のお正月を象徴する名曲として広く知られている。Text by エムP
1992年9月19日に発売されたDREAMS COME TRUEの11枚目のシングル『決戦は金曜日』。発売翌週にオリコンシングルチャートで1位を獲得。本人達も出演していたテレビ番組「うれしたのし大好き~Friday Night Live~」のオープニングテーマに起用された影響力もあって勢いは益々加速、1992年度、年間オリコンチャート18位を記録する。結果累計売上107万枚を売上!『自身初のミリオンセラー』となる記念すべきシングルCDとなった。この楽曲を通じて日本を代表するスーパー・バンドへの道を駆け上がっていくこととなる。Text by エムP
1987年5月1日に発売されたTHE BLUE HEARTSのメジャーデビュー・シングル『リンダリンダ』。オリコンシングルチャートの最高順位は38位だったが、作詞作曲を手掛けた甲本ヒロトが「『これはヤベえだろ!』というような曲を作りたくって作った曲」と豪語しただけあってパワフル且インパクトある楽曲は若者のハートを一気に射止めただけでなく同バンドを代表するナンバーと言われている。Text by エムP
1981年2月5日に発売された寺尾聰の6枚目のシングル『ルビーの指環』。俳優業が主軸だった寺尾聰を歌手としてスターダムに押上げた『ルビーの指環』は本人最大のヒット曲であり134万枚のセールスを記録した。オリコン年間シングルチャート第1位。第23回日本レコード大賞受賞。更に作詞賞、作曲賞、編曲賞も受賞し、楽曲製作者に贈られる3タイトルを総ナメにしただけでなく、第10回FNS歌謡祭最優秀グランプリ。第12回日本歌謡大賞受賞。『賞レースを総ナメ』にした日本の名曲中の名曲なのです。Text by エムP
2001年3月14日に発売されたBUMP OF CHICKENのメジャー2枚目のシングル『天体観測』。『弱者の反撃』と言う意味を持って名付けられたバンド名に恥じぬ快進撃をみせたセカンドシングルは、週間オリコンシングルチャート第3位を記録。同年の年間オリコンシングルチャート26位。オリコン登場回数45回を記録するロングヒット。結果、58万枚を売上、BUMP OF CHICKEN最大のヒット曲になっている。Text by エムP
1979年10月1日に発売された久保田早紀のデビューシングル『異邦人-シルクロードのテーマ-』。発売から1ヵ月以上経過した11月12日付けオリコンシングルチャート55位で初登場。次第に順位を上げていくと、12月10日『デビューシングルで第1位』獲得という快挙を達成!12月25日には、所属レコードCBSソニーが累計売上100万枚突破と発表。その後、シングルレコード総売上枚数は144万枚を記録!一気のメジャー歌手の仲間入りとなった。Text by エムP
1932年、『丸の内音頭』として産声をあげ、日比谷公園の盆踊り大会で披露されたのがルーツと言われている『東京音頭』。丸の内音頭の人気を感じたとったビクターは、全国的に流行させるため、東京市民すべてが歌えるように改詞をして、1933年7月『東京音頭』と改題して全国発売した。東京の見どころを歌った『東京音頭』は東京復興および経済振興の歌として人気となり、東京だけでなく全国で大ヒット!レコードの売り上げ枚数は発売当時だけで120万枚に達している。Text by エムP
1982年3月21日に発売された細川たかし、18枚目のシングル『北酒場』。軽快なJ-POP風の演歌節という新しい武器を手に入れた『北酒場』は、レギュラー出演していた人気番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」(テレビ朝日)でも度々披露されると幅広い年齢層に広がり、『第24回レコード大賞受賞曲』という栄誉を手に入れる。結果、1982年オリコン年間ヒットチャートに於いて第5位にランクインする大ヒット楽曲となった。Text by エムP
1972年12月20日に発売された美川憲一の25枚目のシングル『さそり座の女』はオリコン集計9万枚を超えるヒット曲で、柳ケ瀬ブルースと並ぶ代表曲の1つ。作詞を手掛けたのは、戦後一世を風靡した横浜のバンドホテルの社長夫人である斎藤律子。1999年、バンドホテルは70年の歴史に幕を閉じ、その跡地は、『MEGAドン・キホーテ山下公園』になってしまった。Text by エムP
1987年2月4日に発売された岡村孝子、5枚目のシングル『夢をあきらめないで』。当初は、8センチCD、シングルカセット、8インチシングルレコードとマルチウィンドウリリースに挑戦したが、オリコンシングルチャートの最高順位も50位と奮わず、CD売上枚数は、約13,000枚と低迷し、有名楽曲だが売れなかった名曲の代名詞と言われている。ちなみに、2001年6月20日には12センチCDもリリースしている。Text by エムP
1983年7月25日に発売された、太田貴子のデビュー曲『デリケートに好きして』。1982年、日本テレビ『スター誕生!』第45回に出演し、決戦大会で徳間音楽工業からスカウトを受け、1983年に歌手デビューした太田貴子。『デリケートに好きして』は、自身が主演声優を務めた『魔法の天使クリィミーマミ』の主題歌にもなった。Text by エムP
1988年、森山良子のアルバム「TIME IS LONELY」に収録されていた『涙そうそう』。森山良子が、ライブで共演した『BEGIN』と意気投合。沖縄の曲を作って欲しいと依頼したことで誕生した名曲である。『BEGIN』から送られた来たデモテープのタイトルに『涙そうそう』と書かれていたが、沖縄の言葉で「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味であると聞き、若くしてこの世を去った兄を想う気持ちを込めて歌詞をつけ完成した名曲。Text by エムP
1989年4月21日に発売されたプリンセス プリンセス7枚目のシングル『Diamonds』は、所属レコード会社でもあるソニーの「オーディオテープ」CMソングに起用されオリコンシングルチャートで初登場2位を記録。その後、登場7週目にして自身初の1位を獲得すると同年のオリコンシングルチャートでも1位を記録。結果109万枚の売上シングルCDのみのリリースとして『史上初のミリオンセラー』を達成した。Text by エムP
1993年6月21日に発売されたTHE BOOMの11枚目のシングル『島唄』は、150万枚を超える大ヒットを記録。同年「第35回日本レコード大賞」で「ベストソング賞」を受賞!紅白歌合戦にも出場、一躍全国へと知れ渡った。THE BOOMの代表曲となった『島唄』は、加藤登紀子、夏川りみ、BEGIN、May J.他、国内外でカバーされ今も歌い継がれている名曲である。Text by エムP
1998年12月9日に発売された宇多田ヒカルのデビューシングル「Automatic/time will tell」。累計出荷枚数255万枚を誇る記録ずくめのデビューシングルとなった。『Automatic』「time will tell」共に、PVが製作された理由を、どちらをプッシュするか迷ったからであると後に明かしている。1999年、オリコンシングル年間ランキング第1位は、『だんご三兄弟』だったが、「COUNT DOWN TV」(TBS)の1999年年間TOP100では、堂々の第1位を獲得した。その理由は、8cm盤と12cm盤の2種類のシングルCDを合算した結果と言われている。Text by エムP
1971年11月20日に発売したはっぴいえんど、通算2作目のスタジオ・アルバム「風街ろまん」。A面の3曲目に収録されているのが、作詞:松本隆、作曲:細野晴臣の『風をあつめて』。「風街ろまん」のジャケット写真は、メンバー4人(細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂)の顔写真のアップ。撮影を担当したのは野上眞宏だったがメンバーには大変不評だったと言われている。時を経て、1999年リリースしたシングル『あしたてんきになあれ』のジャケット写真。「風街ろまん」で使ったメンバー4人の元写真が採用され再登場することになると、当時のファンは固唾を飲んで喜んだ。Text by エムP
1973年12月5日、フィンガー5の4枚目シングルとして発売された『恋のダイヤル6700』は、4週連続でオリコンシングルランキング第1位を記録。翌年(1974年)、年間売上ランキングでも第5位を獲得!累計売上、160万枚を超えるビッグヒット曲となった。米国で当時大ヒットを飛ばしていたジャクソン5を意識して結成されたフィンガー5は、沖縄県出身の5人兄弟。『沖縄県出身のグループ』のはしりと言われている。Text by エムP
1992年5月25日にリリースした、槇原敬之の5枚目のシングル『もう恋なんてしない』。柴田恭兵、三浦洋一、風間トオルのイケメン俳優3人が女好きを競ったハートフルコメディードラマ「子供が寝たあとで」(日本テレビ)の主題歌になった同曲は、139万枚のミリオンヒットを記録!年間オリコンランキングでも第7位にランクインした。自身最大のヒット曲は、166万枚を売り上げた「どんなときも」。『犬に耳打ち』している印象的なジャケット写真で話題となった『もう恋なんてしない』は、槇原敬之にとって2番目の売上を誇る名曲である。Text by エムP
1995年5月3日にリリースした、シャ乱Qの7作目のシングル『ズルい女』。オリコン初登場9位を記録したが、翌週16位と急落して落胆したところ、じわじわと人気が復調。発売から約2か月後、本作のオリコン最高位2位を記録するロングランヒットへ成長。結果、145万枚を売り上げ、シャ乱Q『最大のヒット曲』となった。ちなみに、次点は、「シングルベッド」の120万枚である。Text by エムP
1983年9月21日にリリースされたチェッカーズのデビューシングル『ギザギザハートの子守歌』。発売当初は全く売れなかったが、翌年2枚目のシングル「涙のリクエスト」を発売すると、67万枚を超える大ヒット。『ギザギザハートの子守歌』だけでなく、3枚目のシングル「悲しくてジェラシー」と合わせて3曲同時ベストテン入りするという偉業を打ち立てた。Text by エムP
1979年9月25日。YMOの2作目のアルバムとして産声をあげた「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」1980年度・年間LPチャートで第1位(オリコンチャート)に輝いただけでなく、1980年度・年間総合順位でも第2位を記録し、「テクノポップ」という言葉を日本中に浸透させたアルバムである。この「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」に収録されていた名曲が『ライディーン』YMOメンバーも出演した「フジカセットのCF」で流れていた『ライディーン』は、一度、聴いたら忘れることが出来ないインパクト大の名曲として日本中を席巻していった。Text by エムP
1976年11月20日。荒井由実4枚目のアルバム「14番目の月」に収録されている『中央フリーウェイ』は、今でも色褪せないドライブミュージックの定番。独身時代最後のオリジナル・アルバムとなった「14番目の月」。本人は、このアルバムで歌手を引退するつもりだったと、自伝「ルージュの伝言」で語っている。Text by エムP
1985年、爆風スランプの2ndアルバム『しあわせ』に収録されていた『大きな玉ねぎの下で』。感慨深い詩と切ないメロディが見事に重なり合う名曲は、1989年10月、『大きな玉ねぎの下で~はるかなる想い』としてリメイク。爆風スランプ、15枚目にシングルとして発売されると、その年の第40回紅白歌合戦でも『大きな玉ねぎの下で』を披露する機会が与えられ視聴者に多くの感動を与えた。Text by エムP
1975年、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの4作目のシングル曲、『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』 作詞家・『阿木燿子』のデビュー作となった詞を詠んで「コレこそ俺の唄うべき歌だ!」と感激した宇崎竜童さんだったが、生涯で最も作曲に困った作品でもあったとのこと。難産の末、完成した楽曲は一度聴いたら忘れることが出来ない名曲として、ミリオンセラーを達成した。Text by エムP
1994年、レコード会社の枠を超えたコラボレーション楽曲として、小沢健二がメインの「nice vocal」バージョン、スチャダラパーがメインの「smooth rap」バージョンで2枚同時にリリースされ話題を呼んだ『今夜はブギー・バック』 このコラボレーション楽曲が誕生したことがキッカケとなり、数々のコラボ楽曲が生まれてくることになったのです。Text by エムP
1967年、水木しげるさんの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』を原作とする同名のアニメ作品の主題歌として産声をあげる。記念すべき、初代主題歌の歌手として『ゲゲゲの鬼太郎』歌いあげたのが、熊倉一雄さん。あの独特に歌いまわしを聴くと恐怖心が芽生えてくると言わしめた。その後、吉幾三さん、憂歌団、泉谷しげるさん、小池徹平さん、氷川きよしさんと錚々たるメンバーが参加している。Text by エムP
1980年、ソロ歌手としてヒットを生み出すことが出来なかった「もんたよしのり」が、『もんた&ブラザーズ』として再起を賭けてデビューした楽曲が『ダンシング・オールナイト』 発売当初は、話題にならなかったが、一度聴いたら癖になる、もんたよしのりのかすれ声とテンポの良い楽曲は、じわじわと音楽ファンに浸透。気がつけば、1980年代のシングル売上が累計200万枚を超える最大ヒット曲となった。Text by エムP
デビュー4年目の1983年、30歳で発表した5枚目のシングル『初恋』の胸キュン・フォークが世代を超える大ヒットとなる。『ザ・ベンチャーズ』の強い影響を受けていた村下孝蔵。アコースティックギター1本の「ひとりベンチャーズ」で披露した卓越したギターテクニックが伝説となり、シンガーソングライターのさだまさしさんからは、「村下の弾くひとりベンチャーズ凄い。居ないはずのメル・テイラーのドラムが聞こえてくる」と絶賛されている。Text by エムP
1976年、ペッパー警部でデビューすると斬新な衣装と踊りで瞬く間に、日本中に“ピンク・レディー旋風”を巻き起こした。誰もが、振付を真似し熱狂した楽曲は『UFO』。ピンク・レディーの恋のお相手が、『宇宙人』という刺激的な楽曲『UFO』で、第20回日本レコード大賞を受賞すると、名実ともに日本を代表する歌手として全世代を虜にした。Text by エムP
1985年、日本レコード大賞受賞楽曲となった『ミ・アモーレ』 翌年も中森明菜が歌う「DESIRE-情熱-」が受賞!女性歌手初の2年連続レコード大賞受賞という偉業を達成。昭和の歌姫という称号を得た。Text by エムP
1973年、アルバム『かぐや姫さあど』に収録。昭和カップルの生活感をリアルに描写した楽曲が共感を呼びシングルカットされた。発売後、20年以上の歳月を経て200万セールスを記録。Text by エムP
1986年、アルバム「SHAKE IT PARADICE」収録されていた『流星のサドル』。サドルとは、馬具で馬の鞍、腰掛台のことを言う。Text by エムP
1989年、外国人から見た日本の名産、名物を並べたユニークで過激な歌詞が話題となりヒットした名曲『FUNK FUJIYAMA』 CMに起用された際、『SAMURAI』はOKを貰えたが、「GEISHA」「カミカゼ」「HARAKIRI」という単語は、当たり障りない日本の象徴に書き換えられてしまった経緯がある。Text by エムP
1980年、「ランナウェイ」でレコードデビューしたシャネルズは、いきなりミリオンセラーを記録する大ヒット。その後、1983年、「ラッツ&スター」に改名。改名後のデビュー曲『め組のひと』は、CMソングに起用されオリコン1位を記録!Text by エムP